5月4日、朝7時に目が覚めたので、バンコク国立博物館に行くことにしました。
毎週水曜、木曜日に日本人ボランティアの方々によりツアーガイドが催されているからです。
タクシーで行くのはもったいないので、15番の赤バスで行くことにしました。
バスには何年も乗っていません。
BTSがまだない時はバスをよく利用していました。
当時、赤バスは3バーツだったと思います。
サラデーンで乗車したのですが、なぜかお金を集めにきません。
するとラーチャダムリ通りで全員下ろされてしまい、バスはUターンして帰ってしまいました。
しばらくしてやってきた別の15番バスに再び乗りました。
今度のバスは車掌さんがいません。
前に座っていた人にどこで払うのか尋ねると「FREE」と言われました。
結局、お金を払わずに博物館まで行くことができました。*1
9時前に到着しましたが、チケット窓口も開いておらず、日本人もいません。
しばらくして5、6名のボランティアの方がやってきました。
9時集合と思い込んでいましたが、9時半集合でした。
その後、続々と日本人旅行者がやってきて総勢20名弱になったので、2つのグループに別れてまわることになりました。
チケット窓口で200Bの入場券を購入し、大きな荷物は預けます。
ガイドツアーは2時間くらいです。
やはりガイドの話を聞きながら見て回ると、展示品の歴史や特徴がわかるので非常に面白いです。
暑い中を毎週、日本人観光客のために無償でガイドをされているのは本当に立派だと思いました。
前の方で熱心に聞いていたのですが、残念ながら歳のせいで、ほとんどが右から左に流れてしまいました。
以下の説明も間違っている箇所があるかもしれません。
国立博物館は元々は副王の宮殿だったそうです。
副王制度が廃止されたときに、国立博物館として公開されたそうです。
展示品は一つの建物に収められているのではなく、宮殿内の複数の建物に収められているので、外を歩いて移動するときは汗だくです。
タイの重要な仏像のシヒン仏が祭られています。
このレプリカは水かけ祭りの時に市内に置かれてみんなから水をかけられるそうです。
周囲の壁には仏陀の一生が描かれています。
王子として生まれ宮殿で大きくなったた仏陀は、ある日、東、西、南の門から出て、それぞれ老人と病人と死人を見ます。
最後に北の門から出たとき、聖職者に出会います。
仏陀は王子として何不自由なく暮らしてきたので、宗教に免疫がなく、コロリと簡単に勧誘されます。
聖職者について宗教を学んだ仏陀ですが、やはり自分が教祖にならないと旨みがないと悟ります。
バラモン教の聖職者たち(壁画には悪魔として描かれています)の妨害や邪魔を受けながらも自分が教祖の宗教を確立していきます。
・・・というストーリーだったと思います w
私も大学進学のため田舎から都会に出てきた時、大学の帰り道でよく原理研とか真光教に声をかけられ、キリストのビデオを見に行ったり、おでこにハンドパワーを受けたりしました w
上京したばかりで、不安いっぱいの純情な学生をカモにしていたのでしょう。
私は石橋を叩くだけ叩きまくって渡らない人間ですので、勧誘されて何度か参加しても宗教にはまることはありませんでしたが、仏陀は素朴で単純な人間だったようです w
私は、本当に神がいるならとっくに人類を救っているだろって思ってました。
初期の仏教は偶像崇拝しておらず、仏塔や仏足、法輪を信仰対象としたそうです。
初めて仏像が作られたのはガンダーラ地方と言われています。
初期の仏像はより生身の人間に近い形に作られたそうです。
着ているものも肌にぴったりと張り付いています。
トリバンガ(三屈法)という片足に重心をかけて体を少しひねった状態が特徴です。
この仏像は「東洋のミロのビーナス」とも呼ばれているそうです。
あれ?ビーナスって?これは仏陀じゃなかったのかな???
タイの仏教はインドのヒンズー教の影響を強く受けています。
叙事詩『ラーマーヤナ』に搭乗する猿のハヌマーン(右側)と魔王のラークシャサ(だと思う)。
入口の鴨居の部分の装飾。
カーラという自分で自分の体を食べてしまって、下顎から下の体がない神様が守り神として描かれています。
アユタヤ王朝がビルマに攻め込まれて滅びたときに、奇跡的に災難を逃れた数少ない経典棚だそうです。
持ち主が死ぬと骨を経典でくるんでこの棚の中に保管したそうです。
非常に精緻な浮彫がほどこされています。
ユネスコの世界遺産に登録されている「ラームカムヘーン王碑文」です。
私が学生の時は、タイなどの仏教は小乗仏教と教わりました。
僧侶になったものだけが救われるから小乗という呼称だった気がします。
*1:帰りのバスは6.5バーツしっかりとられました。