おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

包公園、安徽省博物館旧館、城隍廟(合肥)

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包公園

昨日あんなに天気がよかったので 、今日も好天気に違いないと思っていたのに、外にでたら霧雨が降っていた。

大した雨ではないので、またホテル前でアシスト付きのハローバイクをレンタルして、包公園まで走らせた(2元)。

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包公園とは 北宋時代の政治家、包公(包拯)を記念して造られた公園だ。

包公は日本で言うと大岡越前水戸黄門のような公正な裁きを行った人物で、テレビドラマもあって中国人なら誰でも知っているらしいが、私は合肥に行くことを決めるまで全く知らなかった。

中国に限らず、世の中は「必ず正義が勝つ」なんてことはなくて、「不公平で不平等で人治がまかり通るのが常」だからこういった稀有な人物が祭られるのだ (-ω-)/

公私混同で税金で花見をする政治家とか w

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公園内を朝の散歩をしている老人が多かった。

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包公祠

公園内は無料だが、包公祠、清風閣、包公墓、浮庄の4箇所は入場料が必要。

包公祠の入口で4ヵ所をセットにした入場券(50元)を購入。

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チケットを印刷していたら、 紙が途中で詰まってQRコードの部分が印刷されなかった。

それぞれのゲートでQRコードをかざして入らないといけないので、他のゲートの係員が通してくれるよう手書きでメモを書いてくれた。

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包公祠は包拯を祭った祠で千年近くの歴史があり、現存のものは1882年に李鴻章の寄付によって修復され、解放後にも何度も修繕されている。

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社の正面に黄金色の包拯像が祭ってある。

これは写真を撮っても構わないみたい。

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脇に包公のテレビドラマ『包青公』のDVDかVCDが展示されていた。

時代劇はあまり好きじゃないけど、ちょっと見てみようかな。

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社の東側には蝋人形館があって、いくつかのストーリーの名場面を表している。

合肥に行く前に、中国語の先生が代表的な「鍘美案」の話を教えてくれた。

陳世美(女性の名前みたいだが男性)は科挙に合格し、その上、皇帝の娘の婿になるが、実は田舎に結婚して妻も子供もいた。妻が上京してきて、陳世美が皇女と結婚しているのを知り、包公に訴えたところ、皇女の婿であるにも関わらず陳世美を死刑にする。

左の黄金の服を着ているのが包公、取り押さえられているのが陳世美、その奥にいるのが陳世美の妻と子供(たぶん)。

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左手には、皇女とその母の妃(たぶん)。

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西側には綺麗な竹林が繁っていた。

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回廊に包公の一生が描かれている。

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清風閣

続いて清風閣に行く。

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入場券にQRコードがないせいで何か言われたら面倒臭いなぁと思ったが、予め連絡してくれておいたみたいで、晓得(知ってる)と言ってゲートを通してくれた。

あとの2ヶ所でも、入場券を見せるとすぐに通してくれた。

まさか、連絡までしてくれているとは思わなかったので、ちょっと感動した。

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楼閣はエレベーターで最上階の5階まで上がれるようになっている。

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楼閣を入って正面に二階分の高さのでかい木彫りの包公の象がある。

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清風閣の門の反対側に包公墓がある。

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一番最後に行く予定の湖の中にある浮庄。

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ちょうど今頃が紅葉の季節のようだ。

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清風閣の手前の建物には、包公園の全景を表した模型があって、全体の様子がよくわかる。 

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包公墓

清風閣の向かいの包公墓に向かう。

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神門には「无畏无惧刚正为民 」と書かれた額がかけられていて、民衆のためにひたすら公正であることを何も恐れない。

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神門と享堂の間には北宋の陵寝制度に従って、石虎、石羊、石人が道の両側に対で置かれ、石人は右側が文官で、左側が武官だ。

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享堂の中には「为政者师」の額がある。

為政者と政治家って意味に違いはあるのかな。

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享堂を抜けると包公のお墓がある。

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包公の墓の離れた区画には妻や長男などの墓がある。

包公の墓の盛り土には草がほとんど生えてないのにこちら側は草ぼうぼうだ。

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もともと墓室は墓の下にあり、墓を発掘した当時の資料を基に再現している。

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隣の資料館で上映していたビデオを見て知ったが、包公の墓地はもともとこの場所にあったわけではない。

墓があった場所を開発することになり、もともと墓と思われたところを掘ったら、ボロボロに腐った木棺と荒されてバラバラになった骨しか出てこなかった。

骨を調べたところ、40歳以上の男性の骨と判明し、これが包公の遺骨に違いないということになったそうだ。

また、骨が出てきた場所は埋め直された墓地で、本当の墓地は墓守がもっと奥にあるといって、更に発掘を進めたら実際に墓室があったということだ。

包公が死んだのは63歳で鑑定結果と開きがあるし、埋め直された骨が包公のものとも限らないし、全然赤の他人の骨を包公の骨といっている可能性も高そう。

さらに骨を掘り出したあと、骨はしばらくの間、包拯の末裔の家に放置されていたと言っていた・・・。

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発掘時に一体の木偶が出土したらしいが、現物は安徽省博物館にある。

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浮庄

最後に、湖の中にある浮庄に行くが、正直なところ、大して見るものはなかった。

包公の第28代にあたる包兆龍氏の像とあったが、香港で海運業を興した人らしい。

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九龍壁はいろんなところにあるが、この壁は9匹の獅子が描かれた九獅壁だった。

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中国らしい庭があるがあんまり綺麗じゃない。

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朝ご飯を食べてなくてお腹が減ったので、車を引いて焼き芋を売っていたので焼き芋を買って食べる(7元)。

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これで旅行前に行こうと思っていた場所はすべて行った。

郊外の三国遺址公園も候補にあげていたが、小雨が降って天気が悪いし、何もないただのだだっ広い公園らしいので行くのをやめた。

さきほど包公の墓から出土した木偶の現物が安徽省博物館にあると書かれれていたので、百度地図で調べると遠くないのでハローバイクで行くことにした。

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安徽省博物館(旧館)

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門を入った右手に事務所があって、そこで身分証(パスポート)を提示すれば無料の入場券を発行してくれる。

ただ、正面の入口は手荷物検査だけで、発行してくれた入場券のチェックは一切なかったので、入場券なしでも入れたんじゃないかと思う。

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入って右手には中国お得意の抗日の展示がある。

後で知ったが、ここは安徽省博物館の旧館で、考古学的な展示は何もなかった・・・。

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これまたよくある日中両国の武器や軍事力の比較。

欧米や日本に蹂躙された近代中国の歴史を鑑みれば、富国強兵しなければまた虐げられるという脅迫観念があるのではないか。f:id:zhizuchangle:20191202232056j:plain

日本軍による毒ガス実験の写真と従軍慰安婦の写真も飾られている。

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2階には解放後の人々の暮らしの変化の様子が展示されていた。

70年代の結婚の結納といえば、腕時計、自転車、ミシンだった。

80年代になると、冷蔵庫、洗濯機、黄山ブランドのカラーテレビに変わる。

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80年代から90年代の懐かしい香港アイドルの写真が壁に貼られていた。

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門を入って左側には安徽好人館と書かれた建物があったので入ってみると、ささやかな良いことをしている市民の写真が活動内容とともに何十人も飾られていた。

模範市民に選ばれると「桜を見る会」のようなものに出席できるのかもしれない w

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城隍廟

頭が少し痛くなってきたが、せっかっく来たので、近くの城隍廟にも行ってみた。

城隍とは街を守る神様で、城は城壁、隍は堀で、どちらも街を守る軍事施設だ。

1051年、北宋時代に民衆に愛された政治家孫覚が建てた。

孫覚の在世は1028年~1090年とあるので、23歳の時に建てられたことになるけど、そんな若くして知州になったのだろうか?

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夜に来て明かりがついていたらきっと綺麗なのだろう。

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市場を通り抜けると城隍廟がある。

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廟の中に入ると劇台があって、ちょうど歌を歌っているところだった。

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なのに観客がこーんなに少なくてかわいそう。

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建物の中には孫覚の像がある。

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城隍廟の裏手には思恵楼という楼閣があったが閉まっていて中には入れなかった。

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たぶん本物の方の1點點があったので、布丁奶茶(21元)を注文する。

珍珠奶茶は安いのに布丁奶茶はとても高い!

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张胜和小笼包という店で小笼汤包と小鲜肉馄饨を食べる(21元)。

これぐらい食べれるだろうと思ったのに、小笼汤包を食べたらもうお腹いっぱいになって、ワンタンを無理やり食べた。

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小雨が降っていたので自転車に乗るのはあきらめ、歩いてホテルまで帰る。

頭痛がしていたので、薬を飲んで部屋で休み、夕方大分マシになったので淮河路歩行街をブラブラ歩く。

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屋台が集まっている場所があったので、何か美味しそうなものはないかみてみる。

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結局、食べたことのない小吃より、日本にもある大判焼きが無難ということで、紫薯と香芋と绿豆の3種類の大判焼きを買って帰った(10元)。

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李鴻章故居と張遼の墓(合肥)

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淮河路歩行街

地下鉄の大东门駅を出て橋を渡ると淮河路歩行街の東の端だ。

手前の交差点には旅行者の味方、たくさんのシェアバイクが停まっていた (^^)/ 

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平日金曜日の昼過ぎのせいか人がとても少ない。

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天啦啦という店で无敌全套(8元)という、珍珠,红豆,马蹄,椰果,小金砖が入ったミルクティーを買う。

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いっぱい入り過ぎていて味がよくわからない。

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明教寺で怒られる

淮河路歩行街のちょうど中央ぐらいに明教寺という寺がある。

元々は魏の曹操が兵隊に弩の練習をさせるために築いた高さ4.3mの正方形の土台があったそうだ。

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入場料は10元、現金のみ。

今回の旅行で現金で払ったのは、この入場料と最初の地下鉄乗車時の2元のみ。

モバイル決済に慣れるとスマホを出すよりお金を出すのが面倒になる。

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本殿の中に3体の仏像が安置されている。

本殿の入口手前で中の仏像の写真を撮ったら、年配の女性に外の写真はいいけど中の仏像の写真はダメと怒られ、写真を削除させられた 💧

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逍遥津公園で張遼の墓を見る

ホテルにチェックインして荷物を置いたあと、歩いて逍遥津公園に行く(入園無料)。 

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公園に入ってすぐ三国志の魏の将軍、張遼の騎馬像がある。

張遼山西省朔州市の出身で、偶然にも中国語の先生の故郷だった。

私は大昔にやった光栄の三國志で武力が90以上あったことしか知らない w

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公園内は遊園地になっていて乗り物もあるが、平日のせいか人は多くなかった。

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逍遥湖という湖がある。

湖には3つの島があり、北側の一番大きな島は橋で繋がっている。

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南側には一番小さい島がある(右側ボートの泊まっている島)。

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その中間にある島は張遼の衣冠冢(zhǒng)があり、島の左側に石碑が見える。

衣冠冢とは、百度百科によると死者の遺体が見つからない、或いは別の場所に埋葬されたため、遺体の代わりに死者の衣服などの物品を埋葬したものだそうだ。

この島は、貸しボートでないと渡れない。

(追記)

中国語の先生に「張遼の衣冠家があった」と話したら「衣冠でしょ」と言われて、初めて誤りに気付いた。「冢」は大きな墓の意だった。

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逍遥閣という楼閣があり、1階が売店になっている。

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確か胡桃の木だったと思うが、キーホルダーを購入(1個10元)。

帰国後、左の二つは中国語の先生と同学にそれぞれあげた。

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高い所に登るのは好きなので、売店でお金を払って楼閣に登る(10元)。

中には三国時代の戦争を紹介した展示がされている。

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戦の一つ「逍遥津大戦」の記載を訳す。

建安20年(西暦215年)8月末、孫権は10万の大軍で合肥を攻めた。曹操は西の張魯を征伐していて、機に乗じて孫権が攻めてくるのを予測していたので、張遼、李典、楽進の3将軍に迎撃するよう密書を残していた。

曹操の命令に従い、張遼ら7千人の兵士は1ヶ月戦い抜いて孫権の包囲を撃退した。逍遥津大戦は鍵となる一戦だった。張遼と李典は8百人の勇猛な兵士を率いて出撃し、孫権軍に大きな損害を与えた。孫権は兵を失い、将を討たれ、河を越えて敗走した。

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一番上の階には多分、写真を当時の服装を着て写真を撮るセットと思われ。

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湖の北側の一番大きな島と石橋。

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三國歴史文化館という建物に行ってみたが、鍵がかかっていて入れず。

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公園の西側に張遼の墓がある。

何も刻まれていないし、百度地図で見ていなかったらここに墓があるとは気付かなかった。

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何の石碑もないがこれが張遼のお墓。

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ところが、これを書いている途中であるブログを発見した。⇨ 三国志紀行・逍遙津

そのブログの写真によれば2001年当時、衣冠冢の石碑は島の中ではなく、墓の手前にあったことが判明!

そしてこんもりとした墓が衣冠冢であった。

私はてっきり湖の小島が衣冠冢で、こんもりした墓が本当の墓と思ってた。

なんでわかりにくいことをするかなあ 💢

初めてアシスト自転車に乗る!

公園を出てハロー単車に乗って帰ることにした。

普通の自転車ではなく、アシスト機能のついた自転車があった。

アシスト自転車に乗るのはこれが初めて。

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支付宝からミニプログラムの哈啰出行を呼び出して自転車のハンドルの二维码を読み取るとロック解除されてレンタルスタート。

ハンドルの右側にはバッテリーの残量メータがある。

自転車をこぐとアシスト機能が働いて加速してとても楽ちん。

残量メータの下にあるボタンを押すと、自転車をこがなくても加速される。

アシスト自転車がこんなにも楽とは知らなかった。

ホテルの近くの駐車エリアで止め、ロックして返却しようと思ったが、ロックの仕方がわからない。

アプリでもう一度二维码を読み取らせると「返却」と表示されてロックできた。

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7分レンタルしてたったの2元。

やっぱシェアバイクがあると移動が便利!

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李鴻章老居

ホテルから淮河路歩行街を歩いて李鴻章老居に行く。

李鴻章は1823年に合肥で生まれた。

日本では日清戦争終結時の馬関条約の全権大使として知られている。

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入場料は20元。

入口から过厅、中厅、走马楼と奥に3つの建物が並んでいて、東側に准军展馆がある。

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李鴻章はとても達筆だったらしく、李鴻章の書いた額がたくさん展示されている。

そういえば、台中の霧峰林家にも李鴻章の額が残っていた。

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奥に行くと李鴻章の胸像があった。

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李鴻章は欧米諸国によって牛耳られていた商船航路を奪い返すため、中国初の民営海運会社を設立したそうだ。

また、1879年に天津で中国人自身による初めての電話線を引いたり、1890年に中国で初めて電報局を開設したりしたそうだ。 

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当時のフランスの絵葉書には、龍(中国)を押さえつけて切り刻む欧米各国の風刺画が描かれている。

龍の首をちょん切っているのが日本で、覆いかぶさっているのがロシア、向かい合って龍の尻尾を握っているのがたぶんイギリスだろう。

当時、中国は「東亜病夫」と言われていたそうだが今なら日本の方だ w

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一番奥に居宅がある。

どうせ文革で破壊し尽くされたのを再建したものだろうけど。

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上皇の霜糖山楂

晩ご飯は、淮河路歩行街の安少爷米线で招牌鸡丁米线(14元)を食べる。

昼ご飯よりずっと安上がりだけど、こっちの方がずっと美味しかった。

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Huaweiの販促活動だろうか、3D体験みたいなのをやっていた。

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ホテル近くの粒上皇という店で霜糖山楂を買う(21元)。

この店は焼き栗(20元加5元)が大人気のようでいつも行列ができていた。

最初、サンザシを混ぜたカステラケーキのように見えたので買ったのだが、サンザシに砂糖をまぶしたものだった・・・。

砂糖の甘さとサンザシの酸っぱさが美味しいけど、何十個も食べられない。

これなら糖葫芦で十分。

日本にも持って帰って食べるが食べきれず半分近く捨ててしまった (-_-;)

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春秋航空99円セールで合肥へ

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最近、また春秋航空の片道99円セールが復活した。

関空から片道99円の区間は、大連、揚州、鄭州、天津、合肥厦門、淮安。

2泊3日で行けてフライトの時間などを考慮すると候補は合肥になった。

12月に行っても寒そうだし、観光スポットもあまりないし、予約するか1日迷ったが、セール価格でもなきゃ今後行くことはないと思い予約を入れた。

サーチャージや空港使用料を入れると往復で12,269円になったがそれでも安い。

11/29 9C8506 KIX-HFE 08:30-11:10
12/01 9C8505 HFE-KIX 12:10-15:50

飛行機は私以外日本人は乗っていなかったような気がする。

上海往きに比べると、うるさいし、明らかに客層が田舎臭かった w

後ろの席の農民工みたいなおばさんが、ずっと「春秋航空は日本の航空会社だ」と話していて、他の中国人が上海の会社だと言ってもずっと繰り返していた (-_-;)

他の乗客が客室乗務員に声をかけて、客室乗務員が上海の会社だと話したらやっと静かになった。

春秋航空のいいところは、座席テーブルが高くて前にもたれて寝られること。

また背もたれが倒せないようになっていること。

LCCは座席幅が狭くて倒されたら後ろの客が迷惑なので、他のLCC春秋航空のように固定にしてしまったら余計なストレスやいさかいが減っていいと思う。

合肥空港からエアポートバスで市内へ

予定より早く11時前に合肥新橋国際空港に到着。

飛行機で来る日本からの観光客なんてほとんどいないのだろう、入国審査の列は中国人も外国人も同じレーンだった。

入国審査では「何をしに来た?」「何日滞在する?」「他の場所にも行くのか?」と質問された。

エアポートバス乗り場で1号線のチケットを購入(25元)。

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ホテルに近い长江饭店站で下車する予定だったが、ホテルにまだチェックインできないだろうし、帰りは始発のバス停から乗ろうと思ったので乗り場を確認しておこうと終点の合肥駅まで乗ることにした。*1

終点のバスターミナルは結構立派な建物だった。

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空港往きのバスは朝は5時40分からあるが、夜は19時30分までしかない。

約50分に1本と、本数もあまり多くない。

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チケットを検査してから待合室に入るようになっている。

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老乡鸡の料理は酷かった

バスターミナルの斜め前が合肥駅で、駅前で昼ご飯を食べることにした。

老乡鸡というチェーン店があったので、葱油鸡套餐(42元)を注文。

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メニューの写真は美味しそうだったのに、実際に出てきた鶏肉は皮と骨ばかり (-_-;)

おまけに黒いのは苦手な木耳のてんこ盛りだった (´ω`)

こんなんなら隣にあった大娘水饺に入ればよかった。

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メニューの写真とあまりに違うので、ブログを書きながらググってみると、「私はこれは料理を買ったのかそれとも骨を買ったのか?」と標題がついた写真を発見。

私のよりひどい骨と皮ばかりの食べた後のような写真。

このチェーン店はひどい・・・。

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駅前でお年寄りの夫婦が交代で一人ずつ写真を撮っていたので、声をかけて二人一緒の写真を撮ってあげたらとても感謝された。

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合肥MRTは银联闪付対応

現在、合肥には地下鉄1号線と2号線が開通している。

1号線の始発の合肥駅から大东门駅で下り、淮河路歩行街をホテルまで歩くことにした。

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微信の乘车码の中に合肥公交があったので、二维码(QRコード)を表示して改札を通ろうとするがエラーになって通れない。

券売機もスマホ決済ができず、仕方なく現金でチケット購入(2元)。

ホテルに着いた後、度娘で搜索すると地下鉄の二维码決済は合肥轨道というアプリだったが、ダウンロードして登録しようとしたら実名制度で中国の身分証がないと登録できなかった。

乘车码の合肥公交とはバスだけなのかな。

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さらにググると、银联闪付にも対応しているらしい。

银联闪付は銀聯カードがそのまま交通カードとして使えて、改札にかざすとキャッシュカードの口座からダイレクトに引き落とされる。

zhizuchangle.hatenablog.com

翌日、地下鉄に乗る時によく見ると、すべての改札機が银联闪付に対応しているわけではなく、対応している改札機には小さな銀聯のシールが貼ってあった。

シンセンみたいにもっと大きく書いていたら最初に乗る時に気付いたのに。

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汉庭酒店(合肥淮河路步行街店)はコスパ最高!

今回泊ったのは汉庭酒店の合肥淮河路步行街店(4,463円/2泊)。

朝食は別料金で18元。

最寄りの地下鉄四牌楼駅から徒歩5分程度。

淮河歩行者天国の西の端にあって、観光地の李鴻章故居や包公園、逍遙津公園も徒歩圏内。

逍遙津公園

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フロントは4階にあって喫茶コーナーみたいになっていてお洒落。

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左下に雨傘も置いてあって、傘を持ってこなくてもレンタルできたみたい。

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部屋はまだ新しくてとても綺麗。

今年泊まったホテルの中でコスパ文句なく最高!

これで1泊2,000円強とは信じられない。

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黒いボトルは「洗衣液」まで用意されている。

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もう合肥に来ることないと思うけど、また来ることがあればまたここに泊ると思うぐらい満足度が高かった。

*1:帰りはホテル近くに2号線の始発のバス停があることがわかって結局行かなかった。