おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

満鉄旧跡陳列館(旧満州鉄道本社)を見学

朝ご飯

久しぶりに小さい食堂に行く。
8日からずっと閉まっていたのだ。
早上很久没去小餐厅,它是从8号一直关门的。 

店員は既に私を覚えていて「おはよう」と言ってくれた(5.6元)。
服务员已经记得我,微笑着说‘你好’。

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粘土のお土産をもらう

寮に帰ると、面塑の先生がわざわざ寮まで何種類かの色の粘土を持ってきてくれた。
回宿舍后,面塑的老师特地来宿舍送我几种颜色的粘土。 

昨晩、微信を発信した時、面塑の材料をあげると言ってきたのだ。
昨晚我发微信时候,她说要给我面塑材料。

申し訳ないと言ったのだが、やはり持ってきてくれた。
虽然我说不好意思,她还是送过来了。

こうなったら帰国後に何か作品を作らないといけないのでプレッシャーだな。
这样,我回国以后,非得作什么作品不可,有点压力。

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最後の授業を受ける

今日は最後の授業なので、少し悲しい。
今天最后上课,有点儿难过。

2週間はあっという間で、まだ学習し足りない。
两个星期太短了,我还学不够呢。

周先生は私に特によくしてくれて、とても感謝している。
周老师对我特别好,我非常感谢。

彼女は研究生で、模擬試合で勝ったので、この夏休みの仕事を得られたそうだ。
听她说,她是研究生,赢了模拟比赛,得到这份暑假的工作。

彼女が正式採用されて、ここで継続して仕事ができることを願っている。
我希望她被正式录用,继续在这里工作。

麻辣香鍋

授業が終わって、Kさんと一緒にご飯を食べに行く。
下了课,跟K先生一起去吃饭。

昨日道で会ったとき、私が前に食べた麻辣湯が食べたいと言ったからだ。
昨天遇见时,他说他想吃上次我吃的麻辣烫。

Kさんを連れて前に行った麻辣湯の店に行く。
我带他去上次去的麻辣烫店。

今回は麻辣香鍋にした。
这次我点了麻辣香锅。

前回「辛くしないで」と言ったら全然辛くなかったので、今回は「辛くして」と言った。
上次说‘不要辣’,结果一点儿也不辣,所以这次我说‘要辣’。

麻辣香鍋は麻辣湯より美味しかった(18元)。
我觉得香锅比汤更好吃。

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大連交通カードの返却手続き

食べた後、交通カードを返却するために西安路にある大連銀行に行く。
吃完后,为了退交通卡去西安路的大连银行。

周先生に大連を離れることになった場合、交通カードを記念に置いておくか、それとも返金するか尋ねたら、他にも記念はあるからお金が欲しいと言っていたので、彼女の意見を参考にする。

我问周老师,‘如果你离开大连,你把交通卡当作纪念留下来,还是退卡?’,她说‘纪念的话还有别的很多东西,我要钱’,我参考她的意见。 

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私は用意周到なので、交通カードの他に、去年買う時にもらった領収書とパスポートも持ってきた。
我很周到,除了交通卡以外,去年买的时候的收据,护照都带来了。 

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果たして、やはり身分証明書が必要だった。
竟然还是需要身份证。

備えあれば憂いなし。
未雨绸缪!

デポジットの30元以外に、21元のチャージが残っていたので、51元も返ってきた (^^)/  
除了押金的30块以外,还有剩下的21块的充值,所以还给我51块!

満鉄旧跡陳列館の見学は電話必須

返金手続き後、満鉄旧跡陳列館に行く。
办完后,去满铁旧址陈列馆。 

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交通カードがなくなったので、初めて地下鉄のチケットを買うがやはりとても不便だ。
没有了交通卡,第一次在大连买地铁票,还是很不方便。

満鉄旧跡陳列館は公開されているが、いつも鍵がかかっている。
满铁旧址陈列馆是公开的,但是总是锁门。

参観したいときは、入り口に看板がかかっていて、看板に電話番号が書かれている。
如果想参观,门口挂着牌子,牌子上写着电话号码。

その番号に電話をすると職員が下りてきて開けてくれる。
给那个号码打电话,职员下来开门。

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無料かと思っていたら50元も必要だった。
我以为免费,可是要50块。

高い!さっき返金してもらった50元をもう使ってしまった。
太贵了,刚才的50块都花光了。 

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ここでも「日本人ですか?中国語が上手ですね」と褒められる (^^)v
职员也对我说“你是日本人吗?说得很好。”

すべての展示品には「日本侵略罪証の何々」と書かれている。
所有的展览品写着‘日本侵华罪证某某‘ 。

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大連賓店(旧ヤマトホテル)は営業停止に

ついでに大連飯店、いわゆる旧ヤマトホテルに行く。
顺便去大连宾馆,所谓旧大和饭店。

去年来た時はまだ営業していたが、今は営業停止していて、二階の喫茶店だけが営業している。
去年还营业,现在都停业了,只是二楼的茶馆营业。 

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大連中華工学会旧跡記念館は見る価値なし

続けて、西安路にある大連中華工学会旧跡記念館に行く。

接着去西安路的大连中华工学会旧址纪念馆。

間もなく閉館の午後4時になるので少し急ぐ。
快要下午4点,关门了,比较着急。

中には何もたいしたものはなく、抗日の英雄が紹介されていた。
里面没什么东西,介绍抗日的英雄。

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黄蜀郎鶏公煲

1元けちるためバスに乗り、馬欄広場の昨日行った飲料店に行くことにした。
为了省钱坐巴士,打算去马栏广场的昨天去的饮料店。

ところが交通大学を通ったときに「鶏公煲」の看板を見かけたので下車してその店に入った。
可是路过交通大学时,看见‘鸡公煲‘的挂牌,下车进去那家餐馆。

中に客は一人しかいなくて、味はイマイチだった(26元)。
里面只有一个客人,味道一般。

やっぱり客がいるかどうかは美味しいかどうかのバロメーターだ。
看来,有没有客人还是味道的判据。 

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歩いて馬欄広場に行く。
走着去马栏广场。

布丁奶茶を購入(12元)、昨日別の客が買っていたので、飲んでみたかったのだ。 

买了一杯布丁奶茶。昨天别的客人买这个,我想尝尝。 

プリンの小さな欠片がはいっていてとても美味しい!
里面有布丁的小片,很好喝!

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帰国の準備と『一万公里的约定』鑑賞

寮に帰って帰国の準備。
回宿舍收拾行李准备回国。

持ってきた4冊の本、スリッパ、古い短パンは捨てて、シャンプーとボディーシャンプーもほぼ使い切ったので、荷物は来るときよりも軽くなった。

带来的4本书,拖鞋,旧运动裤都扔掉,香波和液体香皂几乎用光了,行李比来的时候更轻了。

今朝テレビで『一万公里的约定』という映画をしていたが、授業があったので最後まで見れなかった。
今天早上电视上播送电影‘一万公里的约定’,不过由于上课没看完。

面白そうだったので、ネットで探して最初から見る。
好像有意思,用手机上网搜视频,从头看。

前半は面白かったのに、後半はあまりにもひどいストーリーだった。
前一半很有意思,没想到后一半那么离谱的剧情。

まさに頭でっかち尻すぼみの作品だった。 
真是虎头蛇尾的作品。

満州鉄道の歴史

満州鉄道の設立と任務

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 19世紀中頃、日本は明治維新を経て急速にアジアの新興資本主義国家に発展した。日本政府は機に乗じて「大陸」は日本の「生命線」だと身勝手に吹聴し、武力により朝鮮と中国を侵略する「大陸政策」を制定、対外侵略の軍国主義路線を推し進めた。1894年6月、日本は日清戦争を企て、朝鮮、台湾、遼東半島を侵略した。敗れた清朝政府に主権を失い国土を奪う「下関条約」を結び、遼東半島等を日本に割譲、併せて2万万両の賠償金を支払うことを迫った。
 「下関条約」締結の6日後、ロシアはドイツ、フランスと結託し、「三国干渉」の茶番劇を演じて日本に遼東半島を返還させ、代わりに清朝政府に追加で3千万両を賠償させた。
 ロシア政府は清朝政府への借款の条件として、1896年5月に「中露密約」を締結し、シベリア鉄道が中国東北を横断する東清鉄道(略称中東鉄道)の敷設権を奪取した。1898年3月と5月には「旅大租地条約」を締結、旅順、大連湾及び近海を25年間租借させた。1902年7月、ハルピンから旅順に至る路線を含む中東鉄道全線が開通した。
 1904年2月日露戦争が勃発、ロシアは敗れ、1905年8月に「ポーツマス条約」が結ばれた。日本はロシアから99年間の旅順、大連の租借権と長春以南の鉄道経営権を獲得した。
 日本政府はイギリスがインドに設立した「東インド会社」を模倣し、巨大な植民地経営組織「南満州鉄度株式会社」を設立した。1906年11月26日、「満鉄」は東京で設立、1907年4月11日「満鉄」本社は大連において正式に開業した。
 「満鉄」は日本帝国主義の「大陸政策」の産物であり、「国が発起設立した国策会社」、「会社の名を騙った行政機構」であり、「日本政府に代わり満州を経営」した。その任務は鉄道経営を手段として日本帝国主義の「大陸政策」に従事することにあった。

満州鉄道の経営と拡張

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「満鉄」開業後、後藤新平総裁は鉄道を中心とし、大連を基点とした「満鉄」事業経営発展方針を制定した。その内容は(1)鉄道と大連港の経営(2)鉱山開発(3)日本から50万人移民と開墾(4)牧畜業発展であった。
 日本は「9.18」柳条湖事変を引き起こし中国東北を占領した後、偽満州国を設立した。「満鉄」はこの機に満州国の鉄道、公路、港湾、河川運輸の経営権を奪い、続けて偽満州国の名を使って中長鉄道北満段を買収、東北全鉄道網を乗っ取る侵略拡張計画を実現した。同時に「満鉄」は巨費を投じて鉄道を建設し、大連港を拡張した。日本の降伏前、鉄道は70路線、総距離12,493.2キロ、630駅、各種保有車両47,166輌、職員21万人超にも上った。大連港は年間荷役量が1,000万トンを超える世界規模の大港湾となり、さらに何艘もの遠洋船舶を擁する大連汽船公司を設立して、日本が東北の経済資源を略奪するため、満州鉄道・大連港と世界が繋がる陸海交通運輸の大動脈を築いた。
中国東北の豊饒な土地で「満鉄」はあらゆる企業の開設、経営の特権を保有していた。「産業開発」の旗印のもと、鉄道建設、鉱山開発、工場建設、企業開設にまい進し、1935年末には配下に79社の企業を擁した。その内訳は、工業23社、商業9社、鉱山業9社、運輸、通信、倉庫10社、農林業6社、不動産、建築、土木6社、交易、信託、保険、殖産7社、電気、ガス、水道3社、旅館業2社、新聞出版4社、その他1社であった。これらの企業は独占的な単独資本経営企業、多額の資金を投入して子会社を設立する準独占企業、株式買付、資金貸付、補助金交付等の方式で直接または間接的に日本の個人資本家経営を援助する企業に分類される。こうして「満鉄」はピラミッド型の各種産業を包含する巨大な「満鉄コンツェルン」を形成した。
 中国東北経済の命の綱を更に独占するため、満鉄は2.4億円を投資し、所謂、偽満州国の関係会社を大いに発展させ、偽満州国の工業、金融、交通運輸等の重要な分野を支配した。

満州鉄道の略奪と搾取

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 陸海の運輸網を建設し、中国東北と日本本土、欧米各国の港を結ぶため、「満鉄」は大連港を中継基地とし、大連は「満鉄」が狂気じみた経済略奪を行う中心地となった。これにより、「満鉄」は中国東北地区の輸出入貿易を独占し、東北の豊富な経済資源と帝国主義世界市場を結び付け、中国から巨大な利益を得た。
 関東軍の兵力と軍事物資の運送及び供給以外に、「満鉄」は鉄道と港湾の貨客運輸業務を独占し、巨大な利益を得た。1944年の統計によると、鉄道の貨客年収は15億6701万円、大連港の貨客年収は10億559.6万円に上った。
 大連港から輸出する貨物は、主に東北で豊富に生産された大豆を主とする農産物と撫順で採掘した石炭を主とする鉱産物であった。大豆は東北三江平原と松遼平原の特産品であり、年産4,000万石あり、72.2%が「満鉄」に輸出するために強制的に買い上げられた。
 撫順、阜新等で採掘した良質の石炭は、「満鉄」自身が使用したり発電に用いる以外に、主に日本本土に輸出し、日本の燃料不足の危急を緩和した。統計によれば撫順炭鉱は1932年から1944年の間、2億2,300万トンもの石炭が日本に略奪された。
 「満鉄」はさらに従属する都市の交通、電力、水道、ガス、塩等の企業を独占経営し、莫大な利益を得た。「満鉄」の収入は年々増加し、1945年8月に日本が降伏するまでに「満鉄」の総資産は400億元と1,500倍増加した。「満鉄」の資産を見積もると60兆円に達したが、これは日本が中国の富を無理やり略奪し、中国人民の血と汗を搾取して得たものである。
 「満鉄」が中国東北を支配した38年間、中国人民は日本植民者による統治や奴隷、搾取に耐え、牛馬よりひどい生活を強いられた。「満鉄」は詐欺行為により山東、河北、河南等で大連に来る廉価な「労働者」を募集し、その人数は50万人余りに上った。
 「満鉄」関連企業の中国人労働者は毎日12時間から16時間働いたが、鉱山で働く中国人労働者の日当は僅か54銭であり、日本人労働者の6分の1にも足りなかった。大連地区の中国人労働者の賃金は日本人労働者の3分の1から5分の1しかない上に、監督に10分の1をピンハネされた。中国人労働者は監督や警察から監視され、理由もなく殴られ罵られた。1942年3月から9月だけで、大連港で傷病により死亡した中国の「苦力」は3,520人にも達した。

満州鉄道の衰退と消滅

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 抑圧や搾取があるところには反抗と闘争がある。特に1915年、日本政府は中国政府に「21カ条要求」不平等条約を結ぶように迫り、全中国人民の激しい怒りを招いた。東北の民衆は大規模で激しい抗日運動を展開した。革命闘争の伝統にあふれる旅順大連の労働者階級は1916年から「満鉄」沙河口工場等で労働者が何度もストライキを起こし、資本家と闘争し、日本の侵略行為に抗議した。
 五四運動以降、中国共産党が成立し、中国労働者運動の新しい扉を開いた。1923年12月、共産党員の支援の下、「満鉄」沙河口鉄道工場の労働者を中心として大連地区の初の労働者組織-大連中華工学会-が作られた後、相次いで印刷職工聯合会と店員協会が作られ、旅順大連の労働者運動は高潮に達した。
 1924年、大連で社会主義青年団特別支部中共旅大党組織が相次いで作られた。1926年4月27日、中共大連市委の指導の下、中華工学会組織は有名な壮大な「四二七」福紡労働者大ストライキを繰り広げた。この時期、大連は既に東北労働者運動の中心であった。1927年から1937年旅大党組織は終始「満鉄」沙河口工場を基点とし、「労働」を隠れ蓑として、犠牲を恐れずに各種の革命活動を展開、敵の四度にわたる大破壊に遭いながらも決して屈せず闘争を継続した。大連港と石油工場等で活動した「抗日放火団」は1936年から1940年の4年間、大連で50数回活動をし、次々と燃え上がる革命の炎に日本の侵略者は震え上がった。
 1945年8月7日、倭寇は長白山の自然の要害に依って最後の悪あがきを企んだ。関東軍総司令部は通化に移転し、「満鉄」総本部も軍に従って長白山の麓に移り、時局の急変に対応しようとした。しかし一週間もしない内に天皇が無条件降伏の詔を発し、「満鉄」という尊大な侵略の道具も侵略戦争の完全な失敗と共に中国の土地から消滅した。
 1945年8月22日ソ連赤軍が旅順大連に進駐し、23日「満鉄」を接収した。9月、中ソ合弁の中長鉄道会社が成立、「満鉄」が経営していた鉄道を接収した。
 1950年12月、中華人民共和国政府とソビエト社会主義連邦共和国が結んだ協議に基づき、中長鉄道は中国政府の経営に移った。東北の鉄道はようやく中国人民の手に戻った。