淮河路歩行街
地下鉄の大东门駅を出て橋を渡ると淮河路歩行街の東の端だ。
手前の交差点には旅行者の味方、たくさんのシェアバイクが停まっていた (^^)/
平日金曜日の昼過ぎのせいか人がとても少ない。
天啦啦という店で无敌全套(8元)という、珍珠,红豆,马蹄,椰果,小金砖が入ったミルクティーを買う。
いっぱい入り過ぎていて味がよくわからない。
明教寺で怒られる
淮河路歩行街のちょうど中央ぐらいに明教寺という寺がある。
元々は魏の曹操が兵隊に弩の練習をさせるために築いた高さ4.3mの正方形の土台があったそうだ。
入場料は10元、現金のみ。
今回の旅行で現金で払ったのは、この入場料と最初の地下鉄乗車時の2元のみ。
モバイル決済に慣れるとスマホを出すよりお金を出すのが面倒になる。
本殿の中に3体の仏像が安置されている。
本殿の入口手前で中の仏像の写真を撮ったら、年配の女性に外の写真はいいけど中の仏像の写真はダメと怒られ、写真を削除させられた 💧
逍遥津公園で張遼の墓を見る
ホテルにチェックインして荷物を置いたあと、歩いて逍遥津公園に行く(入園無料)。
張遼は山西省朔州市の出身で、偶然にも中国語の先生の故郷だった。
私は大昔にやった光栄の三國志で武力が90以上あったことしか知らない w
公園内は遊園地になっていて乗り物もあるが、平日のせいか人は多くなかった。
逍遥湖という湖がある。
湖には3つの島があり、北側の一番大きな島は橋で繋がっている。
南側には一番小さい島がある(右側ボートの泊まっている島)。
その中間にある島は張遼の衣冠冢(zhǒng)があり、島の左側に石碑が見える。
衣冠冢とは、百度百科によると死者の遺体が見つからない、或いは別の場所に埋葬されたため、遺体の代わりに死者の衣服などの物品を埋葬したものだそうだ。
この島は、貸しボートでないと渡れない。
(追記)
中国語の先生に「張遼の衣冠家があった」と話したら「衣冠冢でしょ」と言われて、初めて誤りに気付いた。「冢」は大きな墓の意だった。
逍遥閣という楼閣があり、1階が売店になっている。
確か胡桃の木だったと思うが、キーホルダーを購入(1個10元)。
帰国後、左の二つは中国語の先生と同学にそれぞれあげた。
高い所に登るのは好きなので、売店でお金を払って楼閣に登る(10元)。
中には三国時代の戦争を紹介した展示がされている。
戦の一つ「逍遥津大戦」の記載を訳す。
建安20年(西暦215年)8月末、孫権は10万の大軍で合肥を攻めた。曹操は西の張魯を征伐していて、機に乗じて孫権が攻めてくるのを予測していたので、張遼、李典、楽進の3将軍に迎撃するよう密書を残していた。
曹操の命令に従い、張遼ら7千人の兵士は1ヶ月戦い抜いて孫権の包囲を撃退した。逍遥津大戦は鍵となる一戦だった。張遼と李典は8百人の勇猛な兵士を率いて出撃し、孫権軍に大きな損害を与えた。孫権は兵を失い、将を討たれ、河を越えて敗走した。
一番上の階には多分、写真を当時の服装を着て写真を撮るセットと思われ。
湖の北側の一番大きな島と石橋。
三國歴史文化館という建物に行ってみたが、鍵がかかっていて入れず。
公園の西側に張遼の墓がある。
何も刻まれていないし、百度地図で見ていなかったらここに墓があるとは気付かなかった。
何の石碑もないがこれが張遼のお墓。
ところが、これを書いている途中であるブログを発見した。⇨ 三国志紀行・逍遙津
そのブログの写真によれば2001年当時、衣冠冢の石碑は島の中ではなく、墓の手前にあったことが判明!
そしてこんもりとした墓が衣冠冢であった。
私はてっきり湖の小島が衣冠冢で、こんもりした墓が本当の墓と思ってた。
なんでわかりにくいことをするかなあ 💢
初めてアシスト自転車に乗る!
公園を出てハロー単車に乗って帰ることにした。
普通の自転車ではなく、アシスト機能のついた自転車があった。
アシスト自転車に乗るのはこれが初めて。
支付宝からミニプログラムの哈啰出行を呼び出して自転車のハンドルの二维码を読み取るとロック解除されてレンタルスタート。
ハンドルの右側にはバッテリーの残量メータがある。
自転車をこぐとアシスト機能が働いて加速してとても楽ちん。
残量メータの下にあるボタンを押すと、自転車をこがなくても加速される。
アシスト自転車がこんなにも楽とは知らなかった。
ホテルの近くの駐車エリアで止め、ロックして返却しようと思ったが、ロックの仕方がわからない。
アプリでもう一度二维码を読み取らせると「返却」と表示されてロックできた。
7分レンタルしてたったの2元。
やっぱシェアバイクがあると移動が便利!
李鴻章老居
日本では日清戦争終結時の馬関条約の全権大使として知られている。
入場料は20元。
入口から过厅、中厅、走马楼と奥に3つの建物が並んでいて、東側に准军展馆がある。
李鴻章はとても達筆だったらしく、李鴻章の書いた額がたくさん展示されている。
そういえば、台中の霧峰林家にも李鴻章の額が残っていた。
奥に行くと李鴻章の胸像があった。
李鴻章は欧米諸国によって牛耳られていた商船航路を奪い返すため、中国初の民営海運会社を設立したそうだ。
また、1879年に天津で中国人自身による初めての電話線を引いたり、1890年に中国で初めて電報局を開設したりしたそうだ。
当時のフランスの絵葉書には、龍(中国)を押さえつけて切り刻む欧米各国の風刺画が描かれている。
龍の首をちょん切っているのが日本で、覆いかぶさっているのがロシア、向かい合って龍の尻尾を握っているのがたぶんイギリスだろう。
当時、中国は「東亜病夫」と言われていたそうだが今なら日本の方だ w
一番奥に居宅がある。
どうせ文革で破壊し尽くされたのを再建したものだろうけど。
粒上皇の霜糖山楂
晩ご飯は、淮河路歩行街の安少爷米线で招牌鸡丁米线(14元)を食べる。
昼ご飯よりずっと安上がりだけど、こっちの方がずっと美味しかった。
Huaweiの販促活動だろうか、3D体験みたいなのをやっていた。
ホテル近くの粒上皇という店で霜糖山楂を買う(21元)。
この店は焼き栗(20元加5元)が大人気のようでいつも行列ができていた。
最初、サンザシを混ぜたカステラケーキのように見えたので買ったのだが、サンザシに砂糖をまぶしたものだった・・・。
砂糖の甘さとサンザシの酸っぱさが美味しいけど、何十個も食べられない。
これなら糖葫芦で十分。
日本にも持って帰って食べるが食べきれず半分近く捨ててしまった (-_-;)