おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、正社員から週休5日、日給5万円、半在宅勤務、有休フル消化のハケン社員になりました

町石道(高野山一の橋から九度山)親指が痛い!

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宿坊に泊った翌日、町石道を帰ることにした。

9月に反対方向で登ってくるとき、雨引山に登らずやり残したから。

距離が一番長くて、ダイエットに効果があるから 😆

09:00 清浄心院(一ノ橋)

朝、奥の院にお参りしたあと、清浄心院で荷物をとって出発。

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金剛峯寺

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09:15 壇上伽藍

昨日撮った写真と比べると、明るさが違っているせいか、全然雰囲気が違う。

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たまには違うアングルで撮ってみる。

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三鈷の松(さんこのまつ)

大同元年(806年)、弘法大師が唐から帰国される際、日本で密教を広めるのにふさわしい聖地を求めて、明州の港から密教法具である「三鈷杵」を投げまし た。帰国後、その三鈷杵を探し求めると、この松の木にかかっていました。こうして高野山真言密教の道場として開かれることとなりました。 以降、こ の松の木は「三鈷の松」と呼ばれ、ひろく信仰をあつめています。普通、松の葉は2葉か5葉ですが、 「三鈷の松」は密教法具の三鈷杵のように3 葉になっているのが特徴です。

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手が届く範囲に落ちてなくて、トレッキングポールで手繰り寄せた。

確かに松の葉が3つに分かれている。

母は持ち帰って財布に入れているそうだが、欲しくはないので写真だけ撮った。

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六角経蔵を回している人がいた。

反時計回りに回しているので何の功徳も得られないだろう 😆

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中門

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09:30 大門

今まで中門との違いを気にしたことがなかったけど、二枚並べてみると大門は屋根が二層になっているんだな。

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大門の前の道路を横切ったところに町石道の入口がある。

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鏡石

表面が鏡のように平らなことから「鏡石」と呼ばれてい ます。 この石の角に座って真言を唱えると願いがかなう (「心願成就」する)と謂われています。

前回登ったときと同じ説明文を張り付けていくので楽ちん。

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長袖Tシャツの上に薄めのパーカーを着ていたが、暑くなってTシャツ一枚になる。

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10:10 展望台(40町石)

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龍門山などが見渡せる。

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一般道路と交差する地点にトイレあり。

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二つ町石が並んで立っていて、看板があるが、朽ちて判読不能

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押上石

弘法大師空海の母公が清浄結界を越え高野山へ入山しようとした時、激しい雷雨が襲いました。親孝行であった空海は、この大岩を押し上げ、母をかくまったと言い伝えられています。今でも岩には、空海の手の跡が残っていると謂われています。

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袈裟掛石

弘法大師空海が、山を登る際に袈裟を掛け休んだと言い伝えられている石。 袈裟掛石は、高野山の聖域と俗 世の境界を示す「清浄結界」 を表しています。 鞍のような形をしていることから「鞍掛石」とも、この石の下をくぐると長生きするとも言い伝えられていることから「くぐり石」とも謂われています。

前回、正面から見たので、岩と岩の間に隙間があるのに気付かなかった。

ギリギリ何とか通れそうな気がする。

やたら長生きなんてするもんじゃないからくぐらない。

服が汚れるし。

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10:30 六地蔵

7体あるけど六地蔵

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六地蔵から車道と交差する地点にある「矢立茶屋」。

焼き餅を買おうと思っていたのに、まだ開いてなかった。

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でっかいヒキガエル

トレッキングポールでつついても逃げない。

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百町目の町石の写真を撮ろうと思っていたのに、知らない間に通り過ぎて百三番目だった。

登ってくる人が多いので、10組ぐらいすれ違った。

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道のど真ん中にいて、目が悪いので、なんか黒いもんが落ちてるなと思って跨いでから振り返って蛇と気が付いた 💦

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11:35 神田地蔵堂

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紀伊高原ゴルフクラブというゴルフ場の横を通る。

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白蛇の岩と鳥居

この鳥居の奥にある大きな岩は、白蛇の岩(垂迹岩)といい、この岩の隙間に入り込もうとしていた蛇を、杖でつついて驚かせた僧が、丹生都比売神社からの帰途、この岩の前を通ると白い大蛇が岩の上の木に巻き付い て待ち構えていたという伝説があります。僧は自分の非を悟り、丹生都比売神社でご祈祷をして戻って見ると、大蛇はすでに消えていたといいます。その話しから、この岩には白蛇が棲みついており、この岩にお参りをして 白蛇の姿を見ると幸せになると言い伝えられています。

白蛇じゃなくて、黒蛇を見たんだけど・・・。

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真っ赤なマムシグサ

毒があって食べられない。

こういう密集したブツブツを見ると、蕁麻疹が出そう。

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11:50 二ッ鳥居

前に登ったときは世界遺産「丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ)」に立ち寄って、ここに二ツ鳥居に上がってきた。

今回は、丹生都比賣神社には寄らず、町石道を歩く。

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12:10 六本杉

町石道と丹生都比賣神社に下りる道の分岐。

町石道は、九度山町慈尊院から高野山奥ノ院までの20数Kmに及んでおり、道路脇には1町毎の石 造卒塔婆が合計216本建てられている。当初の木 製卒塔婆は、平安時代 (弘仁)に建てられたもので あるが、1266年頃から20年の歳月を費して現在の石造になったことが、 高野山に残る文献に見 られる。

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接待場

真言宗の開祖、弘法大師空海)は835年3月21日に入定しました。毎年この入定の日に高野山で行われる法会を「御影供(みえく)」といい、大正時代の末期まで、人々は歩いて高野山を目指しました。当時、御影供の日に教良寺(きょうらじ)村の有志たちが高野詣の人々に、この場所で握り飯や湯茶の接待を行ったことから「接待場」と言い伝えられています。ここには弘法大師空海)の石像があり、この石像を拝むと「遠く高野山奥の御廟を望む」と言われています。

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12:40 雨引山

前回行かなかった雨引山に登る。

一部、滑りやすい箇所がある。

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頂上に到着。

誰も手入れする人がいないのか、左右の燈篭が壊れて地面に落ちていて哀れ。

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なんかの構築物の跡?

再び、道を下って町石道に戻る。

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銭壺石(ぜんつぼいし)

1265年(文永二年・鎌倉時代)、覚斅(かくきょう)上人の発願により、20年という長い年月をかけ町石道が整備されました。整備作業の際、北条時宗外戚である安達泰盛が、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせて与えたという伝承があります。銭壺は上部がくびれているため、欲を出してたくさんの銭をつかんでも手が引っかかって取り出すことはできません。そのため、大きな手の者でも、小さな手の者でもつかめる銭の量は大差なかったと言われています。

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ようやく柿畑に下りてきた。

一袋100円で売られていたので買おうと思ったらお札しかなかった 😥

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竹林を抜ける。

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13:30 慈尊院

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世界遺産弥勒堂。

乳の形をした絵馬がいっぱいかけられている。

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13:45 善名称院(真田庵)

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真田昌幸真田幸村の父)の墓。

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13:55 九度山

やっとこさゴール!

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下りだけど距離が長いから5時間弱かかった。

体力的にはしんどくないけど、下り坂で足の親指に体重がかかるので、中盤から痛くなって歩くスピードが落ちた。

紫いろになったので、また爪が死んだ。

9月から3ヶ月連続で高野山に登ったけど、町石道、黒河道、京大坂道の3コースとも歩いたのでいちおう一区切りついた。

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