おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

函館市内観光と啄木亭日帰り温泉

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24日報道で、北海道など8道県も非常事態宣言の対象追加になるとのこと。

自粛ポリスが怒るかもしれないけど、大阪がいつからマンボウでいつから緊急事態宣言かって全然気にしてない 💦 

なんちゃら宣言に関係なく、普段から感染しないよう気をつけておけばいいだけのことである。

函館市内観光

2日目はホテルで朝食を取ったあと、歩いて市内観光することにした。

《明治館・金森赤レンガ倉庫》

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ショッピングに興味がないので、こういった観光地は写真を撮るだけ。

工芸品なんか見ても全くほしくない。

若いときは物欲があるけどお金がなくて、お金に余裕がある今は物欲なし。

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カトリック元町教会》

安政6年(1859年) フランスの宣教師メルメ・ド・カション (パリ外国宣教会司祭) が仮聖堂を建てたのに始まるもので、 徳川幕府によるキリシタン追放令以降の日本におけるキリスト教宣教再開の先駆として、横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史をもつ教会である。
明治元年(1868年) 同宣教会司祭ムニクー、アンブルステル両氏が現地に仮聖堂を建て、その後、明治10年 (1877年) 同宣教会司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。
以後3回の大火で類焼したのち、大正13年(1924年) 現在の大聖堂が完成した。この大聖堂は、ゴシックスタイルの耐火建築であるが、中央祭壇、左右両壁十四景の十字架道行の壁像は、イタリア のチロル地方の木彫で、時のローマ教皇ベネディクト十五世から贈られた由緒あるものである。

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《函館ハリストス正教会

2022年11月末まで補修工事中。

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《遺愛学院 遺愛幼稚園》

明治28年(1895) 遺愛女学校併置の遺愛幼稚園として創立されたが、明治40年(1907)8月 の大火で遺愛女学校ともども類焼。現幼稚園園舎は米国篤志家の寄付により大正2年(1913) に建造された。この地は学校法人遺愛学院の発祥の地である。

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《船魂神社》

鳥居脇の看板に北海道最古の神社と書かれていた。

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《旧函館区公会堂》

西部地区のランドマーク、 元町公園の上にあります国 の重要文化財「旧函館区公会堂」 は、明治40 (1907) 年の大火で町会所 (および同所にあった商業会議所) が焼失したことから、集会所や商業会議所事務所とし て明治43年(1910年)に現在の場所に建てられまし た。大広間や大食堂のある2階建ての 「本館」と平屋建ての「附属棟」 の2棟からなり本館は昭和49年 (1974年)、附属棟は昭和55年(1980年)に国の重 要文化財に指定されました。

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公会堂、旧イギリス領事官、北方民族館、文学館の4施設共通チケット(840円)。

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2階の大広間では貸衣装を着た女性が写真を撮っていた。

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明治44年(1911)に皇太子殿下(のちの大正天皇)が北海道行啓の際の宿泊所として使われたそうだ。

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皇太子用に作られたトイレ。

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《旧北海道庁函館支庁庁舎》

北海道庁函館支庁庁舎は、明治42年(1909年)に建てられ、公園造成と合わせて昭和57年(1982年) に修復整備されたもの。特徴のひとつに柱廊玄関があり、2階に張り出した屋根が、柱頭飾り (コリント式) と中央部に膨らみのある (エンタシス風) 巨大な4本の柱で支えられている。明治末期の函館を伝えるこの洋風建築物は、北海道開拓の歴史上価値が高いことから、昭和60年 (1985年) 北海道有形文化財に指定されている。
なお、江戸時代、ここ元町公園には松前藩の亀田番所が置かれ、19世紀初めの幕府直轄時には箱館 奉行所が置かれた。安政元年(1854年)に日米和親条約箱館の開港が決まると、当時松前藩が復領していたこの地は再び幕府の直轄となり、箱館奉行所が再置されたが、港湾から近く防備上不利で あったことなどから、元治元年(1864年) に亀田の地 (五稜郭)に移転した。

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《旧開拓使函館支庁書籍庫》

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《旧イギリス領事館》

函館市旧イギリス領事館は、函館が国際貿易港として開港した1859(安政6) 年から75年間、ユニオンジャックをかかげ続け、異国情緒あふれる港町函館を彩ってきました。
数回の火災にあったのちこの場所に再建しましたが、再び火災により焼失し、現在の建物は1913(大正2)年イギリス政府工務省上海工事局の設計によって竣工し、1934(昭和9)年に閉鎖されるまで領事館として使用されていました。

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イギリス領事官の門章

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歴代のイギリス領事の中で、特に市民に親しまれ、函館に大きな足跡を残したのがリチャード・ユース デン領事です。体が小さかったため 「豆コンシロ (consule = 領事)」の愛称で呼ばれ、幕末から明治にかけてイギリスと函館の「かけはし」役として尽力しました。 帰国のとき、函館公園で開かれた送別会には、大勢の市民が参加しました。

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《相馬(株)》

1913(大正2)年築のルネサンス風事務所建屋。基坂と電車通りの交差点に建ち、西部の町並みのランドマーク的存在。

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《北方民族資料館》

資料館は日本銀行函館支店として大正15年に建築さ れ、全国33か所の支店の中で2番目に古い建物の歴史を有しているが、昭和63年同支店の移転に伴い、函館市文化施設として活用することになった。

蕗の下のコロボックル

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アイヌの月毎の風習を表した絵

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世界に現存する数少ない三人乗りの皮船

魔の荒海ベーリング海に浮かぶコマンドル アリューシャン列島のアリュート民族は、ラッコアザラシ・トド・オットセイ等の海峡を主な生業としていました。中でもラッコ猟は、主に、「バイダルカ」と呼ばれる皮舟が使われ、彼等の巧みな操縦は、いっそう狩猟を容易にしました。

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アリュートの狩猟用毛皮製頭巾
ラッコ猟などの海獣狩猟の際、キツネやオオカミなどの毛皮で作製された頭巾を被った。頭巾は頭部に耳、眼を配し、自らを動物に偽装して狩猟にあたった。

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山丹服(蝦夷錦)
この衣装は、山丹服または蝦夷錦などと呼ばれる大陸 (中国) 由来の衣装で、繊細で豪華な 刺しゅうがほどこされており、アイヌ民族の間ではとても珍重されました。
山丹服は、アムール川下流域に住んでいた山丹人と呼ばれる人々との交易によりもたらされたことから、そう呼ばれています。 特に、中国清朝時代(17世紀ころ)には盛んに交易が行われ、多くの山丹服が大陸より樺太経由などでアイヌ民族にもたらされたと考えられます。

アムール川から北海道まで交易ルートがあったとは驚き。

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チキリイミ(刺繍衣)
樺太アイヌの衣装です。この衣装の人気の秘密は、全体に施された文様の素晴らしさはもちろんですが、 なんと言っても刺しゅう糸の色 のカラフルさではないでしょうか。 何と10種類以上の色 が使われているそうです。

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動物などが彫られた捧酒箸(箆)

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ニポポ(木偶)

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アリュートの狩猟の様子が描かれたセイウチの牙
まるで日本の絵巻物のように、狩猟の様子がとても繊細に、流れるように描かれています。セイウチ猟の様子ですね。まず驚くのは、 とても細かい線によって細部まで描写されていること。さらには下の鏡に映っている裏側にもまた 違う絵が。こちらはトナカイ猟ですね。 当時の彼らの生活が わかる貴重な資料です。
また横からのぞくと、牙の内側がきれいにくり抜かれてい るんです。これもまたすごい技術!

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展示を見ていると博物館の人に「どちらから来られたの」と聞かれた。

別に緊急事態宣言の地域とか気にしてないので「大阪」って答える 💦

東京から来た人は「関東」と答えて、さらに尋ねると「東京」と答えると言っていた。

東京から来たって言いたくないんだろう。

アイヌ絵巻
最初の本格的なアイヌを描いたとされる松前の絵師 小玉貞良の絵巻を描き写したもので、1901年(明治36年)に越前福井藩士で、幕末から明治時代の儒者 富田厚積 (鴎波 1836年~1907年) が所蔵していたものです。

アイヌ人って毛深い人が多いんだな。 

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蝦夷島奇観 写本
書画・地理に明るかったため、幕府に起用され、各地の検分にあたった村上島之丞 (1760年~1808年) による「蝦夷島 奇観」の写本です。この絵巻は、アイヌ風俗の総合絵巻ともい えるもので、様々なアイヌ絵師たちが手本とし、最も流布され たアイヌ絵のひとつです。この写本は、1825年(文政8年) に書き写されたもので、この 部分では、オットセイ漁の様子が紹介されています。

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蝦夷国全図
林子平が、1785年(天明5年) に書いた三国通覧図説の付図のうちの1枚です。林子平本人は、蝦夷地を訪れたことがなく、蝦夷国全図も既存の情報を元に描かれているため正確性には欠けます。蝦夷地を描いた地図のなかでは、模写がたくさん作成され、流布した図のひとつです。

まったく北海道に見えないけど、左上に利尻富士がちゃんと描かれている。

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函館市文学館》

大正10年(1921年)に第一銀行函館支店として建てられた建物を利用。

1階は函館にゆかりのある文芸家の作品が展示されている。

辻仁成しか知ってる人はいなかった。

2階はすべて石川啄木の原稿や手紙などの展示。

石川啄木について熱く語ってくれる職員の方がいた。

人生の辛酸をなめた啄木の作品は若い時には読んでもわからないけど、定年退職するぐらいの年齢で読むとよく理解できるらしい。

カニと遊ぶのと駅に訛りを聞きに行く短歌しか知らないけど読んでみようかな。

どこの誰から借金したかメモを残してて合計1300円ちょっと。

当時の1円は今の1円ぐらいとして1300万。

東京では朝日新聞の記者として35円もらってたくせに、同じぐらいの給料でやりくりしている親友の金田一京助から100円も借りている。

セミリタイアと対極な借金生活だから短歌を読んでも共感できないかもな w

館内撮影禁止で、石川啄木像のみ撮影OK。

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ラッキーピエロ

一通り観光を終えて、ホテルに帰る途中、派手な看板が目についたラッキーピエロというハンバーガー店にはいる。

ハンバーガーだけでなく、カレーや焼きそばもあった。

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人気ナンバーワンと書かれていた「チャイニーズチキンバーガー」のセット(748円)を食べる。

ハンバーガーはボリュームたっぷり、オリジナルラキポテも美味しかった。

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啄木亭 日帰り温泉

ホテルに帰ってバスタオルとタオルをとって路面電車湯の川温泉へ。

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啄木亭に日帰り温泉(900円)に行く。

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最上階の11階に空中大浴殿がある。

行った日は下の写真は女風呂で、反対方向の浴場だった。

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ホテル公式HPより

小雨が降っていて肌寒い天気だったので、露天風呂は気持ちがよかったが、少し離れた場所にでっかい「望楼 NOGUCHI 函館」というホテルがあって、眺望はいまいちだった。

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ホテル公式HPより

帰ろうと思ったら土砂降りの雨が降っていた。

しばらくロビーで時間をつぶして小降りになったところで路面電車で帰る。

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はこだて塩らーめん しなの

はこだては塩ラーメンが有名とのことで、函館駅の近くの「はこだて塩らーめん しなの」で塩ラーメンと餃子を食べる(1,200円)。

塩ラーメンは昔懐かしいさっぱりした味がする。

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