おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、正社員から週休5日、日給5万円、半在宅勤務、有休フル消化のハケン社員になりました

沖縄戦遺跡めぐり(ひめゆりの塔ほか)

一日だけレンタカーを借りて、行こう行こうと思いながらずっと後回しになっていた沖縄南部の沖縄戦遺跡を回る。

「遺跡」というともっと古いもののイメージがあるけど、軽々しく「観光地」というのも違う気がするので、やっぱ遺跡でいいか。

市内のレンタカーだと高くて、「トラベルレンタカー」という瀬長島近くの交通不便なレンタカーショップを利用。

送迎は空港のみなので、モノレールで空港に行ってピックアップしてもらう。

他に3名いたが、やはり当日沖縄に到着したんじゃなくて、ピックアップしてもらうために空港に来た人たちだった。

9時から20時までで4,500円、全国旅行支援クーポンを4,000円使って、キャッシュアウトは500円。

空港への送迎は19時半が最終で、公共交通機関はないというので、20時まで借りたけど19時半までには帰ってこないといけない。

具志川城跡

具志川城跡は、沖縄本島最南端に位置するグスクです。海に突出した標高約17mの海食崖に築かれており、城門付近以外は三方が断崖となっている特異な立地となっています。城内には地元で「ヒーフチミー」と呼ばれる穴があって海へ通じています。本城跡は発掘調査で得られた遺物により、12世紀後半から15世紀中ごろまで利用されていたことがわかりました。
本城跡の周辺には「佐慶グスク」「上里グスク」「山城グスク」「東辺名グスク」「当間グスク」「喜屋武古グスク」が位置し、「具志川城跡」を含めて、沖縄のグスク時代、それぞれが縄張り機能を活かした広大な『グスク』を形成していたと考えられます。

Googleレンズがさらに進化していて、スマホで写真のテキストを読み取って、そのままアクティブな「パソコンにコピー」できるようなってる。

城壁が残ってるが、「崩落の危険あり」。

ヒーフチミー(火ふき穴)
地元で「ヒーフチミー」(火ふき穴)と呼ばれている穴です。内部は石灰岩の空洞になっており、海へ通じます。伝承によるとグスク当時、荷物の上げ下ろしや有事の時の避難に使われていたと伝えられています。

この穴が海につながっているらしい。

城跡といっても、この広場と海につき出した広場だけ。

岬の郭を囲んだ石垣は、東側の石垣は狭く低く、西側の石垣では広く高く築かれ、上には見張りのための武者走りが見られます。西側石垣は、崖下に大岩と城の裏口があるため、見張りを強固するために石垣を高く広く築いたと思われます。

賽銭が置いてある。

なにか儀式をするところ?

海につき出した物見の郭。

崖の地形に合わせて「U」字型に野面の石垣が積まれています。現在の石工の話では、「石垣外面の噛み合わせがきれいだ。外から積んだに違いない」とのことです。当時、崖に足場を組んで積み上げたのでしょうか。

あいにくの曇り空で陰鬱な景色。

昨日のほうが晴れていたので、昨日観光すればよかった。

喜屋武岬(きゃんみさき)

「平和の塔」

当地一帯は沖縄戦の激戦地で、米軍から逃げ場を失った住民・日本軍は自決し最期を遂げた。当地一帯は沖縄戦跡国定公園に含まれている。(Wikipedia

将兵や住民ら一万柱を奉納と書かれていた。

遺骨の量詞って「柱」なんだ。

平和の塔の裏にはお地蔵さんが祭られていた。

真っ青な海が見たかった・・・。

晴れてたらこんならしいので全然大違い。

喜屋武岬|沖縄戦跡国定公園でほぼ沖縄本島最南端の岬

魂魄の塔

参拝者のための駐車場が、サーフィンに来た車で占拠されてた。

この地は今次大戦で一番の激戦地であり、日本軍も住民も追いつめられて逃げ場を失い、陸、海、空からの攻撃を受けて、敵弾にあたって倒れた扉が最も多激戦地の跡である。戦後、真和志村民が収容移住を許された所で村民及び地域住民の協力によって、道路、畑の中、周辺いたる所に散乱していた遺骨を集めて祀ったのがこの魂魄の塔である。
祭神三万五千余柱という、沖縄で一番多く祀った無名戦士の塔であったが、その後、昭和五十四年二月摩文仁の丘に国立沖縄戦没者墓苑が完成し、遺骨は同墓苑に分骨して安置してあります。

石碑の説明文に「ですます調」と「である調」が混在してて気になる。

背後に県ごとの塔があった。

奈良県

大分県

香川県

ひめゆりの塔

沖縄戦遺跡で有名な塔は「ひめゆりの塔」じゃないだろうか。

というか、今回、観光で回るまで、こんなにいっぱい「なんちゃらの塔」が乱立してると思わなかった。

もともとの「ひめゆりの塔」は写真右端の小さな石碑で1946年に建てられた。

奥にあるでっかい碑が1957年に建てられた新しい「ひめゆりの塔」。

このガマ(自然洞窟)は沖縄戦時、南風原町にあった沖縄陸軍病院第三外科配属の軍医、看護婦、ひめゆり学徒たちが、南部への撤退後に避難した場所。1945年6月19日朝の米軍の攻撃により、ガマに入っていた約100名中80余名(うち42名がひめゆり学徒と教師)が亡くなった。ひめゆり学徒の最期の地のひとつである。

こんなところに籠って生活なんて無理。

私なら戦わずにさっさと降伏する。

安○とか高○みたいな政治家がすげ変わったらいいだけだ😛

平和祈念資料館(400円)。

中国の反日記念施設みたいにこういった資料館は無料にしたほうがいいと思う。

バンバン写真を撮れるようにしたらなおよろし。

アメリカ軍が火炎放射器で藪や洞窟を焼き尽くしたり、集落に砲撃している動画を見た。

日本人の死体を転がしている場面もあった 😨

生き残った女学生が体験を語る動画も見られる。

たくさんの千羽鶴

そういえば、ウクライナ千羽鶴を送る”有難迷惑”が話題になったな。

戦争が続く現状と、ゼレンスキー政権がさっさと倒れて親露政権ができるのと、国民にとってどちらが幸せだったのだろう。

ロシアのような大国に接していながら、バランスの取れた外交をしなかったゼレンスキー政権にも非があるんじゃないだろうか。

知らんけど。

最後におまじないの言葉を付けとけば大丈夫😛

知らんけど。

平和祈念公園

やたらだだっ広い公園。

沖縄戦で戦死した人の名前がずらっと膨大な石碑に刻まれている。

石碑が向いている中心に「平和の礎」。

南側には、また都道府県ごとの塔がある。

これは岐阜県

南の高台の上にある「黎明之塔」。

「なんちゃらの塔」大杉で食傷気味😟

「平和の丘」

「沖縄平和祈念堂」

あんま興味なかったけど、わざわざだだっ広い公園を歩いて来たついでに入る。

450円だけどJCBカードを見せたら400円。

美術館なのかそれほど多くない絵画が飾ってある。

奥のホールには「沖縄平和祈念像」。

やっぱよっぽど暇じゃない限り入る必要なし。

外に「清ら蝶園」があってオオゴマダラという蝶が見れる。

海を渡る蝶はアサギマダラ。

慶座絶壁(ギーザバンタ)

急な階段を下りていくと、波打ち際に滝がある。

ここも天気がいい日に来たかった。

背後はもう波打ち際。

来てるのは「サンエー」で買ったパーカー。

慶座絶壁(ギーザバンタ)沖縄 - Insta360

長くなったので、午前の部で区切る。