那覇13時10分発の琉球エアーコミューターで北大東島に飛ぶ。
与那国島に行ったときと同じく、JALのマイレージを使った特典チケット。
南大東島を通過。
すぐに北大東島が見えてきた。
周囲を断崖絶壁に囲まれた島で面積は約12km²、人口約700人。
北大東空港
約1時間のフライトで14時15分に到着。
ホテルの人がワゴン車で迎えに来てくれてていったんホテルへ。
ホテルで電動自転車をレンタル(3,000円)して島を一周する。
小さな郵便局。
ひょっとして現金が必要になったら下せるのはここだけ?
玉置半右衛門記念碑
アホウドリを殺しまくって財を成した人。
金刀比羅宮
燐鉱山遺跡
ロープが張られて立ち入り禁止になってる。
やっぱナウルと同じく鳥のフンが堆積してできたリン鉱山だったのだろうか。
でっかい土管が台湾の十三層遺跡みたい。
少し離れたところにあるレンガ造りの遺跡。
西港
北大東島には、西港、江崎港、北港の3つの港がある。島の周囲の岩礁が険しく、船の接岸が困難なため、大型船舶は沖合で停泊し、クレーンによる荷役が行われる。人もかごに乗り、小型漁船も宙吊りにされて島へ出入りする。新たに漁港が整備されても、宙吊りの風景は変わらない。
大正七年、燐鉱採掘の本格化に伴って、現在の西港に最初の港が建設された。島の西側が風下になり、なぎになる日が多いためである。岩礁をダイナマイトで割ってつくった斜面に、木材を並べて固定し、艀(はしけ) をすべらせる船揚げ場を建設した。次いで、デリックによる荷揚げ場が設置された。いずれも現存している。燐鉱採掘の積出は、荷揚げ場に隣接して設けられた「象の鼻」と呼ばれる積荷桟橋で行った。砂糖の積出は、上陸港が用いられた。いずれも沖合の本船まで艀により運搬した。
1955年には、陸上と沖合の岩をワイヤーロープで結んで滑車により貨物の揚げ降ろしを行う方法が導入された。1958年の地方港湾の指定に伴って浚渫工事が実施され、1962年には座礁したアメリカ船舶のマストを活用したデリックが整備されて、大型船を横付けして行う荷役が可能となった。1973年にトラッククレーンが導入され、現在に至っている。 風向きにより西港が使用できない時に備え、1972年に江崎港が、 1980年に北港が整備され、現在も使用されている。
港の対面は切り立った岸壁。
国標
港のそばに整備された西港公園があった。
公園の奥に国標がある。
平成28年に再々々建されたものらしい。
明治18 年、大東島が日本の領土であることを明確にするため、内務省の内命を受け、 沖縄県令・西村捨三は 正式な調査団を派遣した。
県属・石沢兵吾らは出雲丸(船長 : 林鶴松)に乗船し、大東島に向かった。同年8月29日に南大東島に、8月31日に北大東島に国標を設置した。これが公式な記録に残る最初の大東島への上陸である。
北大東島の国標に記され 内容は次のとおりである。
(文字が一部削り落とされたみたいになってる)
劣化したため、昭和12年にコンクリート製により再建された。現在の国標は、西港公園を整備する際に、改めて木製で 再建したものである。
上陸公園
玉置半右衛門らが南大東島の開拓に着手した明治33年から3年後、玉置商会は北大東島に社員、山田多恵吉ら若干名を派遣した。この時、上陸した地点が上陸公園のあたりである。山田らは、現在の村役場前に甘蔗8株を植え付け、開拓の 意思を示した。
北大東島の開拓が本格的に始まったのは明治43年以降で あり、燐鉱採掘を主要産業としつつ、製糖業も発展した。燐鉱石の積出は西港で、砂糖の積出は上陸港で行われた。
積出の際は、傾斜部にレールを敷設し、その上に砂糖樽をすべらせて下方のコンクリート製の箱で受け止め、艀に載せて、本船に運んだ。
ごみ処理施設が近くにある。
開拓百周年記念碑
明治時代に上陸するまでは無人島だったってことかな。
琉球の人じゃなくて、本土の人が移り住んできたのだろうか。
島の周囲は断崖絶壁の岩場ばかり。
海の向こうに南大東島が見える。
北大東漁港
めちゃくちゃ立派。
日本の箱もの行政は素晴らしい!
台風岩
平成21年10月6日、台風第18号の際に地面の岩が猛烈な波風により吹き飛ばされ、道路擁壁にぶつかって止まった。それ以来台風岩の名前で親しまれ、景観ビューポイントになっている。
説明のプレートがなかったら、ただの道の脇にある岩。
こんなでっかい岩が台風で飛ばされてくるなんて信じられない。
沖縄海
沖縄県最東端之碑
海岸をくりぬいたプールらしいが、波が荒くてとてもプールに見えない。
奄美大島にもこんなプールがあったっけ。
このあと、上に上がっていったとき、島の人に「旅行の方?今日は危ないから泳がないほうがいいですよ。」と言われた。
もともと泳ぐ気はないけど、泳ぐ気があったとしても、この海を見たら泳げないとすぐわかる 😅
波が白く泡立ってる。
泳いだら死ぬでしょ 💀
ここの景色、最高!見飽きない。
底が舗装されているっぽい。
小さなプール?
水が深くてズボンがぬれるので、脇の岩を伝って向こう側の道に渡る。
荒々しい波。
このあと、波がかからないところにいるつもりだったのに、もっと大きな波が来て、頭から波をかぶって全身びしょ濡れになった!
釣り人が大波にさらわれるのがわかるような気がした。
秋葉神社
空港の近くにある神社。
島にはサトウキビ畑がいっぱい。
遠くに見える赤い鳥居は、上の秋葉神社。
大東宮
島の中央にある、いちばん大きな神社っぽい。
もうこんな最果ての島に再び来ることはないと思うので、奮発して100円お賽銭。
いままで100円以上のお賽銭はしたことがない。
北大東村役場
こんな小さな島にも信号があった。
JAおきなわ
日曜日のせいか閉まっていた。
与那国島の商店よりずっと立派そう。
北港
波が港の上まで打ち寄せてる。
このあと、もっと大きな波が来て、自転車ごとこけるかと思った。
ほとんど乾いていた速乾パンツがまたびしょ濡れ。
大東ピラミッド
何のために作られているのだろう?
エジプトのピラミッドは、農民の失業対策だったという説があるようだが、大東ピラミッドも同じようなもんか?
上に登ると重機があった。
日が暮れてきて、道が見えにくくなってきたので、急いでホテルに帰る。
波をかぶったあと、岩で足を切った 😣
とりあえず、絆創膏を貼っておく。
一部しかカバーできないけど・・・。
そうそう、こんな最果ての島でも会社のロゴを発見してちょっと感動した。