ホテルをチェックアウトして南に向かう。
桜島
鹿児島といったら桜島。
大学4回生の秋、中古車を買った友人がいて、3人で桜島までドライブ旅行をした。
当時はまだマニュアル車の方が多かったとおもう。
どっか車の少ない道路で、運転してみるように言われたけど、すぐにエンストした 😥
私は自信がないから運転したくないし、友人も私に命を預ける気にはならなかったのだろう、友人二人がずっと運転した 💦
当時のアルバムを見返してみたら、桜島だけでなく、阿蘇山や別府温泉にも行っていたし、桜島から桜島フェリーにも乗って鹿児島市内の西郷隆盛像の写真も撮っていた。
今回の旅行が初めての鹿児島市内だと思っていた。
すべてお任せの受動的な態度だったので、桜島に行った以外、全く覚えてなかった。
太崎観音
道路沿いに撮影スポットの標識が出ていたので立ち寄る。
小さな祠があるだけ。
ジョロウグモの巣が張っていたので、祠の横に置いてある箒で払う。
山頂に雲がかかっていて眺めはもうひとつ。
有村溶岩展望所
桜島の反対側は雲がかかってなくて、綺麗に山肌が見えた。
手前から大正溶岩、昭和溶岩、古い溶岩と分かれていて、植生が異なる。
展望台の岩になぜかたくさんの硬貨が置かれている。
湯之平展望所
もっと火山に近い湯之平展望所からの眺め。
雲がかかっていて全体が見えない。
山の中腹い見える構造物は、溶岩の流出防止か?
- 鹿児島湾北部は約29,000年前の巨大噴火でできた巨大なカルデラ(姶良カルデラ)で、噴火によって南九州全域にシラス台地ができた。
- 約26,000年前の噴火でできたのが桜島で、桜島は姶良カルデラの子供。
- 桜島の記録が残っている大噴火は、天平宝字噴火(奈良時代 764年)、文明噴火(戦国時代 1471年)、安永噴火(江戸時代 1779年)、大正噴火(1914年)がある。
- 大正噴火は世界の火山噴火史上に残る大規模なもので、このとき大隅半島と繋がった。
黒神埋没鳥居
大正大噴火の前兆は、すでに3日前から始まっていました。島内いたるところで井戸が沸騰し、海岸には大量の死魚が浮き、地震が 断続的に起きていたのです。
安永噴火の言い伝えから、大爆発の「前触れ」と感じた人も多く、村は騒然とした雰囲気に包まれました。 1914年(大正3) 1月12日、午前10時5分まず西桜島赤水上が黒煙を突き上げ、10分後には東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒煙は上空7000mに達し、全島を被いつくしました。間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、更に翌13日には溶岩の流出が始まり、30億トンの火の波が瀬戸海峡を横断、桜島と大隅半島を陸続きにしてしまったのです。ここ黒神でも全戸687戸が火山灰に埋没しました。
高さ3mの腹五社神社の鳥居は、笠木だけ残して辛うじて見えていましたが、時の村長 野添八百蔵は、爆発の猛威を後世に伝えるため発掘の中止を指示。そのままの形をとどめることに なりました。
菅原神社(荒平天神)
駐車場が狭くて、バス専用と書かれているところに停める。
満潮の時だったので、社に続く道が波に洗われていた。
急な階段を登る。
といっても写真に見えてる数段だけ。
小さな社には菅原道真が祀られている。
菅原道真って大宰府に左遷されて失意のうちに死んだそうだから、エリート意識が強い人だったのだろう。
左遷されて気楽になったと思えばよかったのに 😆
続いて、日本本土最南端の佐多岬に向かう。