
南岳衡山から長沙に戻ってきて、「NICCOLO長沙」に荷物を預けにいくと、まだ正午なのに部屋に入れた。
しばらく休んだあと、長沙市内の観光に出かける。

臭豆腐と糖油粑粑
地下鉄に乗るため、「NICCOLO長沙」が入っている「長沙IFS」の地下ショッピング街にいくと、気軽に入れそうな店があった。
都会は一人でも気軽に入れる店が多くていい。

雲吞も食べたかったけど、長沙に来たからには臭豆腐を食べなくては。
白と黒の臭豆腐(13.9元)。
辛いのは苦手なので”微辣”🌶️にした。
臭豆腐は割と好きで、台湾でも時々食べる。

これも長沙名物の糖油粑粑(13.9元)。
もち米の粉で作った平たい団子を、砂糖と油でじっくりと炊き上げもの。
味はまさしく、みたらし団子で美味い。

岳麓書院
地下鉄に乗って「岳麓書院」へ。
毛沢東は湖南省湘潭市韶山沖出身で、青年期を長沙で過ごしたそう。

「沁园春石碑」
毛沢東 が青年期に詠んだ詞「沁園春・長沙」が刻まれている。
「中国の未来を変えたい」という若き毛沢東の強い志や革命への情熱が込められている。
特に最後の「曾記否、到中流撃水、浪遏飛舟?」という句は、「かつて仲間と共に川の激流で泳ぎ、波を切ったあの熱い日々を覚えているか?」と問いかけ、同志と共に時代の激流に立ち向かおうとする意気込みと決意が表現されている。

さらに進むと「岳麓書院」がある(40元)。

岳麓書院は北宋の開宝九年 (976) に創建され、中国において古代の四大書院の一つとされている。宋、元、明、清の各時代を経て、1926年に「湖南大学」と名を定められた。古代の書院から現代の大学に、一脈相伝し、湖湘文化の発祥地であり、人材育成の揺籃でもある。現在、岳麓書院は湖南大学の現代的教育資源とそれ自身の濃厚な文化遺産を頼りに、 古代書院から現代書院への変換に成功し、国学の研究とともに、研究型の人材を育てる現代書院に変わった。「千年学府」 と呼ばれている。

「赫曦台」
入口にある舞台つきの楼閣。


「惟楚有材、于斯為盛」の対聯。
正門にも近いところに掛かるこの対聯は、「楚(湖南地方)に人材あり、そしてここ岳麓書院に最も盛んに集う」という意味で、ここから多くの偉人が輩出されたことを誇りにしている。

清の乾隆帝から賜った「道南正脈」(儒学の正統が南方に伝わったことを意味する)の匾額。

「御書楼」は書院の図書館にあたる場所。
宋の咸平二年(999) に建てられた、書院の蔵書を保存する場所である。かつては「書楼」「尊経閣」 という名称があったが、清の康熙二十六年(1687)に、巡撫の丁思孔は朝廷から十三経、二十一史などの書籍を下賜され、今の場所に御書楼を増建した。清の中後期に、書楼はわが国の民間における比較的大型の図書館に発展し、14130冊の蔵書をほこった。書楼が提唱した「書籍は所蔵することは大切ではなく、読むことが重要である」という蔵書の理念は、後世の人々に大きな啓発を与えた。
2020年9月17日、習近平総書記は湖南大学を視察・調査し、重要な講話を行った。
湖南大学の全教職員と学生は大いに励まされ、温かさを感じ、総書記の切実な訓示を心に刻み、豊かな歴史文化を継承する中国の特色ある世界一流大学の建設を加速させ、社会主義現代化国家の全面的な建設と、中華民族の偉大な復興である中国の夢の実現に向けて、新たにより大きな貢献をすべく努力している。

「四箴亭」
宋代の理学者の程顥 (1032-1085) と程頤 (1033-1107)を祀る所である。明の嘉靖九年(1530) に、知府の潘鎰が「敬一箴亭」を文廟の大成殿の後ろに建てた。天啓四年(1624)に再建され、 「四箴亭」に改名された。清の嘉慶二十三年(1818) にここに移転された。祠内の左右両壁に明の石彫刻「四箴」碑が4つ嵌められている。
四箴とは「目箴・耳箴・口箴・心箴」のことで、それぞれ 目・耳・口・心 の用い方を戒める内容。
四箴
一、目箴
非礼勿视。
礼にかなわないものは見てはならない。
二、耳箴
非礼勿聽。
礼にかなわないものは聞いてはならない。
三、口箴
非礼勿言。
礼にかなわないことは言ってはならない。
四、心箴
非礼勿動。
礼にかなわないことは心に起こしてはならない。

「濂溪祠」
宋代の理学者の周敦顔を祀る所である。清の嘉慶十七年(1812) に今の六君子堂の場所に建てられたが、二十五年(1820)にここに移転された。周敦頤(1017-1073)は、北宋時代の有名な理学家であった。号は「濂溪」先生。その学説は後代の理学の発展に大きな影響を与え、理学の開山祖師として尊敬されている。
他にも祀られている人がいるけど、知らん人ばっかり。
四大書院かしらんけど、建物も別に古くもないし、あんまり興味なし。

「屈子祠」
「三替大夫」とも呼ばれ、戦国時代の偽大な愛国主義詩人であった屈原(約前340-前27日)を祀る所である。消の版元年(1796)(に、長沙知府の張齢、学数の処と山長の羅典は施書院の北側に子を建てた。2006年に、今の場所に再建された。


岳麓書院に向かって右側に「文廟(孔子廟)」。

岳麓書院は創設された当初から、孔子を祀ってきた。最初は礼殿を講堂の前に建て、その中に先師十哲の像を置き、七十二賢人の画像を掛けた。明の正徳二年(1507) に礼殿を書院の左側 (今の場所)に移転した。天啓四年(1624) に再建され、「文廟」と改名された。 1940年代以降に徐々に修復されたものであり、照壁、牌楼、大成門、両廉、大成殿、崇聖殿、 明倫堂などの部分から構成され、基本的に当時の建物構造が保存されている。

「萬世師表」は中国の儒学的な敬称で、「万世にわたる人々の師・手本」。

岳麓書院を出るときに痛恨のミス。
岳麓書院は後ろに抜ける西門があるが、入ってきた門から出てしまった。
西門から出ると、長沙の見どころの一つである「爱晚亭」が目の前にあった。
なんも下調べせずに観光するから時々、こういう失敗がある😓
岳麓山
長沙に来たら是非飲みたいのが「茶顔悦色」。
ミルクティーを中心としたドリンクチェーン店で、長沙市内に300店舗以上を展開し、地元の若者を中心に絶大な人気があるけど、他の都市では展開しておらず、長沙でしか味わえない。
スマホで注文したけど、番号表示がされずにちょっとわかりにくかった。

ミルクティーの上にクリームとナッツが載っている(17.90元)。
味はまあまあ。

岳麓山に登る。
入山は無料だけど、スマホで実名制の登録が必要。
標高約300mの丘陵状の山で、市民の憩いの場として親しまれている。
山麓には歴史ある岳麓書院があり、中腹には愛晚亭が立ち、春の桜や秋の紅葉が美しい。

車道を外れて点在する寺院を周りながら登ったほうがよかったのかもしれないが、どこがゴールかわからないので車道を登った。
昨日、衡山に登ったせいか、暑さによるものか、登る前からすでにバテバテ😫
「麓山雾语」というカフェがあったので入る。

棗とミルクティーセット(36元)。
この日は、昼に臭豆腐と糖油粑粑を食べただけで、飲んでばっかり。

さらに少し歩くと、長沙市内が見える展望台があった。
でも、左右に木があるから、そんなに広い視野じゃない。

もうクタクタで、帰りは電動カートに乗った(20元)。
それに、下りは膝によくないから、基本、歩きたくない。

もう夕方なので、「橘子洲」観光は翌日にして、ホテルに帰って休憩。
夜の坡子街
坡子街は長沙で最も歴史のある美食街の一つ。
夜の街並みを見にでかける。


「火宫殿」
長沙を代表する伝統的な小吃を提供する老舗レストラン。
創建は1747年(清の乾隆年間) と非常に長い歴史を持ち、当初は火神を祭る「火神廟」として建てられた。

中に入ると劇台があってショーをしている。

黄金の毛沢東像。


奥に火神廟。


デビュー当初、アルバム『第一張創作專輯』では台湾語(閩南語)の曲が多かった。


五一広場から南に延びる黄興南路は歩行者天国になっていて大勢の人で賑わっている。
先週訪れた太原の食品街とは比べ物にならない規模とたくさんの人。

「文程里长沙美食城寨」という美食街(たぶん)。



いっぱい屋台が入ってる「大长沙美食城」。

キンキラキンの装飾。

長沙の名物の一つが小龙虾(ザリガニ)。
ジュースの飲みすぎてお腹が空いてないのでパス。


湖南省で一番高い長沙IFS(452m)。

入口にある銅像は、中国近代史上の重要な革命家であり、辛亥革命の指導者である黄興像。
孫文と並び、「孫黄」と並び称される辛亥革命の双璧(全然知らんかった)。
孫文が理論と革命資金の調達を担当したのに対し、黄興は実際の武装蜂起の前線指揮を数多く担当したそう。

ホテルの部屋からの夜景。



たかだか300m足らずの山なのに暑さでバテバテ。

【長沙】岳麗山(岳麗書院) / ちゃんらーさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ