おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給6.1万円、半分在宅勤務のハケン社員になりました

太原観光(晋祠・双塔寺)

平遥古城から太原に移動して、太原観光は本日1日だけ。

まずは、太原で一番有名な観光地「晋祠」に行く。

泊まっている太原駅の近くから856路の始発バスが出ている。

けっこう遠くて、バスで2時間近くかかる(2.5元)。

バスを待っていると、「晋祠まで30元で乗せていく」と声をかけられる。

事前にタクシーなら80元以上かかることを調べておいたから、30元で行けるわけがない。

どうせ「拼車」で乗客が4、5人集まるまで発車しないに違いない。

いつ集まるかわからない乗客を待つぐらいならバスで行くわ。

始発なのでガラガラ。

でも、途中から満席になったので、一番後ろに座っておいて正解。

私は短パン、半袖シャツだけど、単車を運転する人は長袖の人も多い。

太原市内を南北に流れる汾河。

交通警察の建物。

晋祠まで1時間半ぐらいかかった。

晋祠

スマホではパスポートで入場券を買えなかったので、游客中心でチケットを買おうと思ったら、游客中心も端末だけで有人窓口なし。

晋祠は無料エリアと有料エリアがあって、有料エリア入口に有人窓口があると教えてくれた。

一番奥のエリアが晋祠博物館で有料エリア。

晋祠は中国山西省太原市にある、1500年以上の歴史を誇る王立庭園で、古代中国の建築美と彫刻芸術を今に伝える名所です。宋代建築の「聖母殿」や金朝の「献殿」、唐代の碑刻など国宝級文化財を多数所蔵。清らかな泉や古木が織りなす自然景観と人文景観が融合し、中国最古かつ最大規模の祠堂式古園林建築群として国内外に知られています。

唐園

唐園というエリア。

「飛龍閣」という楼閣。

中央の騎馬像は唐太宗・李世民、左に国舅長孫無忌、右に李績、左前に尉迟恭、最右には前に魏征、後ろに馬周が配置されている。

李世民が太原を拠点として挙兵し、唐王朝を建国したという重大な史実を記念している。

老君廟

創建年代は不明で、明と清の時代に修繕された。

中は展示スペースになっている。

さすがにこんなところに唐代とか戦国時代のものが展示されているとは思えないのでレプリカだろう。

唐と戦国時代の帯留め。

銅鏡。

商代や竜山文化の玉壁。

レプリカならレプリカとどっかに書いといてほしい。

甲骨文字。

レプリカでも本物そっくりに作れるんだな。

昔の貨幣。

鳩杖は、漢代の朝廷が年長者に授与したもので、身分と特権の象徴。

三清殿。

伏龍山にたつ東屋。

晋祠博物館

晋祠の中にある有料エリア。

入場料80元。

さて、中に入ったものの何がみどころかわからない。

脇に立てられた看板に必見ポイントが書かれていた。

三大国宝:聖母殿、魚沼飛梁、献殿

三絶:宋塑侍女像、周柏、難老泉

水鏡台

水鏡台は、明の万暦元年(1573年)と清の道光24年(1844年)に改修された古建築で、殿・台・楼・亭の様式を融合した神事や演劇の舞台。中央の「水鏡台」扁額は晋祠出身の楊二酉が書いたもので、晋祠三大名園の一つとして知られる。

金人台

四隅に鋳鉄の「金人」が立っていることからこの名がついた。東北の一体は民国2年(1913年)に補造されたもので、残る三体は北宋時代(1097年)に鋳造されたもの。

対越坊

明の万暦4年(1576年)に建立された。「対越」という名前は、『詩経・周頌』の「秉文之徳、対越在天」(文の徳を抱き、天に報い宣揚する)という一節から取られている。 扁額は明代の太原出身の挙人、高応元が書いたと伝えられている。

献殿(国宝)

金の大定8年(1168年)に建てられ、祭祀の供物を並べるための建物。構造が軽巧で耐久性に優れ、中国最古の年代が明確な献殿として知られる。

でも、一九五五年用原料按原式样翻修,仍保持金代建筑特点。」と書かれてた。

それってレプリカ(復元)ちゃうの。

魚沼飛梁(国宝)

中国で唯一現存する十字形の古代橋梁創建年代は不詳で、最も古い記録は北魏の酈道元による『水経注』に見られ、現存する実物は北宋時代に建てられた。橋の形が十字型で、鳥が翼を広げたように見えることからこの名が付けられた。

晋祠(太原) - Insta360

聖母殿(国宝)

中軸線の末端に位置し、北宋太平興国9年(984年)に創建された、中国に現存する最も古い祠堂建築の一つ。

聖母殿の碑廊には22基の石碑が保存されている。

晋の国の始祖・唐叔虞の母であり、周王朝を建国した武王の后である「邑姜」。

宋塑侍女像(三絶)

聖母像の両側に立つ42体の侍女像。宮廷に仕える等身大の侍女が、それぞれが年齢も役職も異なり、喜怒哀楽の表情や仕草が実に繊細に表現されている。

ちょっと薄暗いのと遠くて肉眼だとよく見えない。

隣の「台骀庙」には、太原の定住と農業発展に寄与した、古代中国の治水の英雄であり、後に水神として祀られた台骀が祀られている。台骀は大禹より前の治水の先駆者として、中国治水史上最初の人物とされる。また、台骀は「張」という姓の一族の始祖とされている。

難老泉(三絶)

「老いず、尽きることのない泉」を意味する、中国史上最も有名な泉の一つ。李白が「晋祠流水如碧玉(晋祠の流水は碧き玉の如し)」と絶賛したほど。

かつては1秒間に1.8トンもの水が湧き出ていたらしい。

中国語の先生が、昔は水位がもっと高くて、底から勢いよく湧き上がっていたと言ってた。

今は地下水が減って、人工的に水を循環させているらしい ・・・。

敦煌の月牙泉と同じである。

で、その循環されている水をありがたがって汲んでいる人たち💧

背後の水母楼」には水母娘娘が祀られている。

周柏(三絶)

西周(紀元前1046年~紀元前771年)の初年に植えられ、樹齢は3000年を超える。木は南に傾き、龍がとぐろを巻いたように、横たわる龍のような形をしているため、「臥龍柏」とも呼ばれる。

必見の6点は見終わったが、他にも祠がいっぱいある。

公輸子祠

清の康熙53年(1714年)に建立され、乾隆25年(1760年)に修復された。公輸子とは、通称「魯班」として知られる春秋時代の魯国出身の古代の有名な職人で、後世には中国建築業の祖師として崇められている。

苗裔堂

通称「奶奶廟」または「子孫殿」。創建年代は不明だが、元の致和元年(1328年)に再建され、明の正徳6年(1511年)に修復された。殿内には、子宝の女神を含む7柱の神が祀られている。

高台にある道教の仙人を祀った「朝阳洞」。

背後の懸瓮山に登れるのかと思ったら、通行止めになっていた。

唐叔虞祠

元代の楽伎塑像。

元代の楽伎の塑像が14体保存されており、両側に分かれて並んでいる。一方は管弦楽、もう一方は打楽器。

またの名を興安王廟、汾東王廟といい、西周時代の晋国の始祖である姫虞を祀る霊廟。唐叔虞は周の武王の子で、周の成王の弟にあたる。「晋」という国号は、唐叔虞の子である燮父が「唐」を「晋」に改めたことに由来し、山西省の略称「晋」もこれに由来する。現在の建物は元代の至元4年(1267年)に再建されたもの。

「晋祠」という名前自体が、「晋の始祖を祀る祠」という意味だけど、次第に信仰の対象が彼の母親である邑姜(聖母) に移り、聖母殿が主役になって、唐叔虞祠は中軸線から外れたわき役になってる💧

「桐葉封弟」

幼少の成王が、弟の叔虞と遊んでいる時に桐の葉を瑠(天子が諸侯に与える玉器)の形にちぎり、「これで君を諸侯に封じよう」 と冗談を言いった。それを聞いた側近の周公旦が「天子に戯言(たわごと)はありません」と進言したことから、成王は言葉を実行に移し、叔虞を唐の君主に封じたと伝えられている。

関帝廟

清の乾隆60年(1795年)に再建された。

関聖帝君像も清代につくられたもの。

殿内には関帝の生涯の物語を描いた80余幅の貴重な清代の壁画がある。

関羽は、戦の神様でもあるし、財神でもあるし、科挙や、治水、医薬の神様でもある。

三清洞、玉皇閣

清の乾隆60年(1795年)に再建、中に道教最高神三清が祀られている。

上階には玉皇大帝が祀られていたようだが気付かなかった。

中央に玉清元始天尊。宇宙の根源とされる「太元」を神格化した存在。

右に太清道徳天尊老子を神格化した存在で、太上老君とも呼ばれる。

左に上清霊宝天尊。宇宙の法則である「道」を神格化した存在。

三聖祠

薬王(神農)、左には真君(倉王)、右には龍王が祀られている。

写真を撮ってたら、この祠だけ「撮影禁止」の看板があることに気付いたので3体目を撮ってない。

薬王(神農)

龍王

王瓊祠

明の嘉靖の末年に建てられ、明代の4つの時代に仕えた重臣、王瓊を祀っている。

山西省太原県の出身なので、郷土の偉人を祀る祠。

博物館の南エリア。

唐刻華厳石経陳列館

唐代に刻まれた華厳経の石経を展示している。

1940年、日本軍が風峪溝の洞窟から「華厳石経」を発見し、持ち去ろうとしたが、地元の有識者たちが命がけで取り戻し、晋祠に保存したのがはじまり。

舎利生生塔

隋の文帝の開皇年間(581-600年)に創建され、宋代に修復、清の乾隆16年(1751年)に再建。

奉聖寺

いいかげん見飽きたので博物館を出る。

晋文公芸術博物館

晋の黄金時代は、晋文公(紀元前697年〜紀元前628年)の時代。春秋時代の晋の第22代君主であり、春秋五覇の一人。暗殺の危機に直面し、19年間8つの国を流浪し、帰国して即位した。

2階がでっかい展示エリアになっていて、文公にまつわるエピソードの場面を再現している。

晋文公(重耳)が国を再興した初期に5人の賢士(趙衰、魏犨、賈佗、胥臣、狐偃)と共に国政の大計を論じる場面。

介子推は、主君である晋文公(重耳)の亡命に付き従い、忠誠心を示すために自らの股の肉を切り取って食べさせたと言われている。

なのに、晋文公は恩賞を与えるのを忘れて、介子推は老いた母を連れて山に隠居。晋文公は必死に介子推を探し、山に火を放って無理やりに出てこさせようとしたと言われているが、介子推は母と共に焼死する😥

絶対に殺そうとしたとしか思えん。

この出来事が火を使わない「寒食節」の起源とされる。

山西省の中国語の先生が前に話していたので、「寒食節」の習慣は今でも山西省では守られているみたい。

受食返壁

晋の公子・重耳が亡命中に曹国を訪れた際、曹の君主・共公は彼の身体的特徴(あばら骨が一続き)を見ようと入浴を覗くという無礼を働いた。重耳は怒って国を去ろうとしたが、大夫の僖負羈だけは主君の非礼を恥じ、食事と宝玉を贈って謝罪した。重耳はその誠意に感謝して食事だけを受け、宝玉は返した。

困っている人物が、援助を受ける際にも礼節と先見の明を忘れないことの喩。

屋台飯

外の屋台で昼食を食べる。

中国北方では夹肉饼西安だとソウルフード肉夹馍

蒸したパンだと台湾の刈包

山西省の伝統料理の旋凉粉(10元)。

食べれないことはないけど味がなくて無理して完食🤮

夹肉餅(13元)はまあまあ。

ハンバーガーのほうが断然美味しいけど。

合わせて23元のはずだが22元。

帰るときも、また1人30元と声をかけられるが、バスで帰る(2.5元)。

塔寺(永祚寺)

太原駅の手前で下りて、自転車で「塔寺」に行く(1.5元)。

太原にはシェア電動バイクがないみたい。

西門から入って、塔の方向に一直線の道を進むと門が閉まって入れなかった😥

枠で囲まれたエリアは有料で、北側に周らないといけなかったみたい。

門の下にチケット売場があった(30元)。

永祚寺は別名双塔寺と呼ばれ、明の万暦27年(1599年)に創建された。

大雄殿は、別名、無梁殿と呼ばれ、一切木材を使わず、完全にレンガの仿木構造(木造建築をレンガで模した構造)の非常に珍しい明代の建築。

二つの塔は小高い丘の上に建っている。

宣文塔

明の万暦36年(1608年)に晋穆王朱敏淳の招きで、五台山の高僧・妙峰法師が建立した。高さ54.78メートル、13層の八角形で、楼閣式の中空煉瓦造塔。塔頂には銅鉄製の宝瓶が据えられ、上層部は細く締まり琉璃の縁飾りが施されている。

開放されていて登ることができた😀

狭い階段なのですれ違うのが大変。

最上階に着いた。

四つん這いになったら窓から景色が見える。

もう一つの「文峰塔」。

文峰塔

明の万暦27年(1599年)に傅霖ら太原の士紳が文運を高めるために建てた風水塔。高さ54.76メートル、13層の八角形で、楼閣式の中空煉瓦造塔。塔身は直線的で絞りがなく、青煉瓦を磨き合わせて精巧に積み上げられ、質朴で優雅な姿をしている。

こちらは開放されてなかった。

双塔寺(太原) - Insta360

宝賢堂」

明代に山西省の晋藩王府で作成された、書道の名品を集めた石刻のコレクション。

「書聖」王羲之をはじめ、歴代の名だたる書家の作品を集めている。

元々の石刻は何度か損傷したり行方不明になったりしましたが、清の時代に傅山らによって補修・補刻され、今日まで伝えられている。

傅山は明末清初の太原の書家。

五一広場

前日、「首義門」が17時で閉まって入れなかったので、間に合うかどうかわからないけどバスで向かう(1元)。

太原は西寧と同じく、市内は1元と激安!

ギリギリ閉まる前に入れた(無料)。

太原の街の起源と発展についてのパネルが展示してある。

太原の起こりは紀元前5世紀末に趙簡子(戦国時代の趙国の基盤を築いた人物)が家臣の童安に命じて建設した晋陽城。

つまり、太原は晋の都ではなかった。

「晋祠」があるから、晋の都かと思った。

戦国時代は「三家分晋」という事件が、周王朝によって正式に追認された紀元前403年からで、それ以前が春秋時代

山西省の人は分割された後の「趙」より、春秋の五覇にもなった「晋」を誇りたいのだと思う😎

太原市の工業は中華民国時代(1912~1949年)に急速に発展し、鉄鋼、石炭、機械、電力、化学など多岐にわたる近代工業体系が形成された。

今じゃ、石炭産業のイメージしかないけどな。

そういや、2012年にアップルの下請けの鴻海の工場で暴動が起きたのも太原だった。

悪いことは記憶に残ってる😎

近くのケンタッキーで夕飯(35.9元)。

結局、晋祠が遠かったのと広かったせいで、晋祠・双塔寺の2ヶ所しか周れなかった。

太原の観光地って、お国自慢(山西省の偉人を誇る)の傾向が強い気がした。