
陽関で昼食後、敦煌の北西にある玉門関に向かう。
玉門関は入場料40元。
中央のツーリストセンターから東西端にある「漢長城遺跡」と「大方盘城遺跡(河仓城)」までとても歩ける距離ではなく、大型バスでの移動となるため、バス代(50元)が別途必要。

玉門関は西漢時代に設置されたシルクロード西域の重要な関門で、陽関と共に国の西の玄関口だった。
漢の武帝は紀元前111年に匈奴への軍事遠征を行い、この地域に長城や関所、屯田を整備し、西域交通の安全を確保した。
乾燥地で農耕に不向きだったため、食糧供給は陽関付近の農地や巨大な国家倉庫「河倉城」に依存していた。
玉門関以西は、当時の農耕可能地域の限界であり、この関所を越えることは国家の保護圏を離れることを意味した。

御覧の通り、天気が悪くなってきた。
砂漠だから雲一つない澄み渡った青空のつもりだったのに。

「小方盘城遺跡(玉門関)」はツーリストセンターから近いので、一番最後に歩いて行く。

漢の長城遺跡
漢代以降、世界的に有名なシルクロードの開通とともに、大規模な長城の建設が始まりました。史書によると、漢代には令居(現在の甘粛省永登県)から北西へ、居延海・金塔・酒泉・嘉峪関の北を経て、玉門・安西(現在の瓜州)・敦煌、さらにはロプノールに至るまで、河西回廊から新疆にかけて長城が築かれました。
その中で敦煌の漢の長城は東西方向に延びており、東は瓜州県東部の碱墩から始まり、疏勒河の南岸を沿い、西は敦煌の榆樹泉盆地に至ります。総延長は約172.7キロメートルで、今からおよそ2100年以上前に築かれたものです。
特に敦煌の当谷燧区間は、中国に現存する中で最も保存状態が良好な漢代の長城防壁です。この区間の長城は、基底幅が3メートル、上部幅が0.65メートル、高さは約2.95メートルあり、すべて現地の材料(ヨシ類の芨芨草・黄土・砂利など)を用い、層ごとに突き固めて築かれました。これは古代中国の労働人民の知恵の結晶です。

段々になっている箇所に藁のような植物が見える。

敦煌周辺の長城は、砂漠の土を層状に積み重ねて棒で突き固める「版築」工法で建設された高さ約3.5m、幅約3mの土塁で、一見低く見えるが、騎兵の突破を物理的に阻む目的に最適化されていた。
長城沿いには120m間隔で「烽火台」が配置され、敵を発見すると煙や火で瞬時に情報を伝達でき、要所には兵士が常駐する「堡塁」が設けられ、小規模な侵攻なら即時に対応可能だったそう。

遠くの烽火台は行く時間がないかなと思って躊躇っていたら、広東人大学生がスタスタ歩いて行ってた。

後を追いかけて見に行く。
当谷燧
小方盤城の西4.5キロメートルの場所に位置し、小方盤城と同時期に建設されました。現存する高さは7.2メートルで、漢代長城沿線において比較的保存状態の良好な烽火台の一つです。
この烽燧は、古代の軍事防御体系の重要な構成要素であり、警戒、見張り、郵便や文書の伝達といった役割を担っていました。
その独特な日干し煉瓦の建築様式と他に類を見ない歴史的価値により、玉門関遺跡群の中でもひときわ目立つ存在となっています。
イギリス籍ハンガリー人の探検家スタイン(Aurel Stein)は、この烽燧で大規模な発掘調査を行い、大量の漢代の木簡を発見しました。

バスに乗って反対側の「大方盘城遺跡(河仓城)」に移動。
まさかの雨が降り出して、遠くで雷が鳴りだした😬
こんな砂漠で雷が近くに来たら隠れる場所がない。
あとで運転手に敦煌でこんな天気は年に10日もないと言われた。
大方盤城遺跡
大方盤城遺跡は「河倉城」とも呼ばれ、玉門関の西12キロメートルに位置しています。この城は西漢時代に建設され、「昌安倉」として知られる西漢の貯蔵施設の遺跡です。場所は疏勒河の南にある湖のほとり、南岸の低地の砂地にあります。
城は河床より2メートル高い台地の上に建てられており、長方形の形状で、版築(土を突き固める工法)で築かれています。東西の長さは134.8メートル、南北の幅は18メートルで、残存する城壁の最も高いところで6.7メートルです。
城内は南北方向に二つの壁で三つの同じ大きさの倉庫に分割されています。北壁には上下に三角形の小さな穴があり、上に3つ、下に5つ、交互に等間隔で配置されており、通風設備と考えられています。
外壁は東・西・北の三面に二重の囲い壁が築かれており、第一の壁の一部は現在も残存しており、四隅には見張り台の痕跡があります。第二の壁は北側の角にその痕跡のみが残っています。
河倉城は古代において軍需物資を備蓄するために建てられた施設で、玉門関・陽関・長城沿いの兵士たちに食料や衣類などを供給するために機能していました。古代西北地域における軍事防御の重要な役割を果たしていました。

雨はすぐに止んだけど、地面がぬかるんでドロドロ。
砂漠というと鳴沙山のような砂丘を思い浮かべるけど、この辺りは粘土質や礫で覆われた砂漠。

こうやって雨が降るたびに、遺跡が崩れていって、何百年かたったらすっかり形が変わってそう。



靴底に泥がいっぱい付着していたので、バスに乗る前にこすって落とした。
雨柱が幾筋も立ってる。
この日帰りツアーでは、砂漠での日没と星空観賞もあるけど、これじゃ望み薄😥

最後にツーリストセンターに戻って、歩いて「小方盘城遺跡(玉門関)」に行く。
小方盤城遺跡
小方盤城は、西漢時代には玉門都尉府(軍の司令部)の所在地であり、東漢時代には玉門候官(地方官庁)の所在地でした。現在の敦煌市中心部から約90キロ離れた場所にあります。
現在残っているのは一つの関所で、城壁はほぼ完全に保存されており、黄土の版築によって築かれ、ほぼ正方形の構造です。城の規模は一辺約26メートル、高さ約10メートル、面積はおよそ700平方メートルです。西側と北側にはそれぞれ土の洞窟のような形をした門が開かれ、城の上部四方には幅1.3メートルの通路があります。城内の東南角には幅1メートルに満たない通路があり、東の壁に沿って南へ折れながら上ると頂上まで通じています。



晴れていたら、きれいな草原なんだろうけど。

まさか敦煌で雨にたたられて、どんより雲の写真を撮るとは思わなかった・・・。
最後の観光地は雅丹国家地質公園。