包公園
昨日あんなに天気がよかったので 、今日も好天気に違いないと思っていたのに、外にでたら霧雨が降っていた。
大した雨ではないので、またホテル前でアシスト付きのハローバイクをレンタルして、包公園まで走らせた(2元)。
包公園とは 北宋時代の政治家、包公(包拯)を記念して造られた公園だ。
包公は日本で言うと大岡越前や水戸黄門のような公正な裁きを行った人物で、テレビドラマもあって中国人なら誰でも知っているらしいが、私は合肥に行くことを決めるまで全く知らなかった。
中国に限らず、世の中は「必ず正義が勝つ」なんてことはなくて、「不公平で不平等で人治がまかり通るのが常」だからこういった稀有な人物が祭られるのだ (-ω-)/
公私混同で税金で花見をする政治家とか w
公園内を朝の散歩をしている老人が多かった。
包公祠
公園内は無料だが、包公祠、清風閣、包公墓、浮庄の4箇所は入場料が必要。
包公祠の入口で4ヵ所をセットにした入場券(50元)を購入。
チケットを印刷していたら、 紙が途中で詰まってQRコードの部分が印刷されなかった。
それぞれのゲートでQRコードをかざして入らないといけないので、他のゲートの係員が通してくれるよう手書きでメモを書いてくれた。
包公祠は包拯を祭った祠で千年近くの歴史があり、現存のものは1882年に李鴻章の寄付によって修復され、解放後にも何度も修繕されている。
社の正面に黄金色の包拯像が祭ってある。
これは写真を撮っても構わないみたい。
脇に包公のテレビドラマ『包青公』のDVDかVCDが展示されていた。
時代劇はあまり好きじゃないけど、ちょっと見てみようかな。
社の東側には蝋人形館があって、いくつかのストーリーの名場面を表している。
合肥に行く前に、中国語の先生が代表的な「鍘美案」の話を教えてくれた。
陳世美(女性の名前みたいだが男性)は科挙に合格し、その上、皇帝の娘の婿になるが、実は田舎に結婚して妻も子供もいた。妻が上京してきて、陳世美が皇女と結婚しているのを知り、包公に訴えたところ、皇女の婿であるにも関わらず陳世美を死刑にする。
左の黄金の服を着ているのが包公、取り押さえられているのが陳世美、その奥にいるのが陳世美の妻と子供(たぶん)。
左手には、皇女とその母の妃(たぶん)。
西側には綺麗な竹林が繁っていた。
回廊に包公の一生が描かれている。
清風閣
続いて清風閣に行く。
入場券にQRコードがないせいで何か言われたら面倒臭いなぁと思ったが、予め連絡してくれておいたみたいで、晓得(知ってる)と言ってゲートを通してくれた。
あとの2ヶ所でも、入場券を見せるとすぐに通してくれた。
まさか、連絡までしてくれているとは思わなかったので、ちょっと感動した。
楼閣はエレベーターで最上階の5階まで上がれるようになっている。
楼閣を入って正面に二階分の高さのでかい木彫りの包公の象がある。
清風閣の門の反対側に包公墓がある。
一番最後に行く予定の湖の中にある浮庄。
ちょうど今頃が紅葉の季節のようだ。
清風閣の手前の建物には、包公園の全景を表した模型があって、全体の様子がよくわかる。
包公墓
清風閣の向かいの包公墓に向かう。
神門には「无畏无惧刚正为民 」と書かれた額がかけられていて、民衆のためにひたすら公正であることを何も恐れない。
神門と享堂の間には北宋の陵寝制度に従って、石虎、石羊、石人が道の両側に対で置かれ、石人は右側が文官で、左側が武官だ。
享堂の中には「为政者师」の額がある。
為政者と政治家って意味に違いはあるのかな。
享堂を抜けると包公のお墓がある。
包公の墓の離れた区画には妻や長男などの墓がある。
包公の墓の盛り土には草がほとんど生えてないのにこちら側は草ぼうぼうだ。
もともと墓室は墓の下にあり、墓を発掘した当時の資料を基に再現している。
隣の資料館で上映していたビデオを見て知ったが、包公の墓地はもともとこの場所にあったわけではない。
墓があった場所を開発することになり、もともと墓と思われたところを掘ったら、ボロボロに腐った木棺と荒されてバラバラになった骨しか出てこなかった。
骨を調べたところ、40歳以上の男性の骨と判明し、これが包公の遺骨に違いないということになったそうだ。
また、骨が出てきた場所は埋め直された墓地で、本当の墓地は墓守がもっと奥にあるといって、更に発掘を進めたら実際に墓室があったということだ。
包公が死んだのは63歳で鑑定結果と開きがあるし、埋め直された骨が包公のものとも限らないし、全然赤の他人の骨を包公の骨といっている可能性も高そう。
さらに骨を掘り出したあと、骨はしばらくの間、包拯の末裔の家に放置されていたと言っていた・・・。
発掘時に一体の木偶が出土したらしいが、現物は安徽省博物館にある。
浮庄
最後に、湖の中にある浮庄に行くが、正直なところ、大して見るものはなかった。
包公の第28代にあたる包兆龍氏の像とあったが、香港で海運業を興した人らしい。
九龍壁はいろんなところにあるが、この壁は9匹の獅子が描かれた九獅壁だった。
中国らしい庭があるがあんまり綺麗じゃない。
朝ご飯を食べてなくてお腹が減ったので、車を引いて焼き芋を売っていたので焼き芋を買って食べる(7元)。
これで旅行前に行こうと思っていた場所はすべて行った。
郊外の三国遺址公園も候補にあげていたが、小雨が降って天気が悪いし、何もないただのだだっ広い公園らしいので行くのをやめた。
さきほど包公の墓から出土した木偶の現物が安徽省博物館にあると書かれれていたので、百度地図で調べると遠くないのでハローバイクで行くことにした。
安徽省博物館(旧館)
門を入った右手に事務所があって、そこで身分証(パスポート)を提示すれば無料の入場券を発行してくれる。
ただ、正面の入口は手荷物検査だけで、発行してくれた入場券のチェックは一切なかったので、入場券なしでも入れたんじゃないかと思う。
入って右手には中国お得意の抗日の展示がある。
後で知ったが、ここは安徽省博物館の旧館で、考古学的な展示は何もなかった・・・。
これまたよくある日中両国の武器や軍事力の比較。
欧米や日本に蹂躙された近代中国の歴史を鑑みれば、富国強兵しなければまた虐げられるという脅迫観念があるのではないか。
日本軍による毒ガス実験の写真と従軍慰安婦の写真も飾られている。
2階には解放後の人々の暮らしの変化の様子が展示されていた。
70年代の結婚の結納といえば、腕時計、自転車、ミシンだった。
80年代になると、冷蔵庫、洗濯機、黄山ブランドのカラーテレビに変わる。
80年代から90年代の懐かしい香港アイドルの写真が壁に貼られていた。
門を入って左側には安徽好人館と書かれた建物があったので入ってみると、ささやかな良いことをしている市民の写真が活動内容とともに何十人も飾られていた。
模範市民に選ばれると「桜を見る会」のようなものに出席できるのかもしれない w
城隍廟
頭が少し痛くなってきたが、せっかっく来たので、近くの城隍廟にも行ってみた。
城隍とは街を守る神様で、城は城壁、隍は堀で、どちらも街を守る軍事施設だ。
1051年、北宋時代に民衆に愛された政治家孫覚が建てた。
孫覚の在世は1028年~1090年とあるので、23歳の時に建てられたことになるけど、そんな若くして知州になったのだろうか?
夜に来て明かりがついていたらきっと綺麗なのだろう。
市場を通り抜けると城隍廟がある。
廟の中に入ると劇台があって、ちょうど歌を歌っているところだった。
なのに観客がこーんなに少なくてかわいそう。
建物の中には孫覚の像がある。
城隍廟の裏手には思恵楼という楼閣があったが閉まっていて中には入れなかった。
たぶん本物の方の1點點があったので、布丁奶茶(21元)を注文する。
珍珠奶茶は安いのに布丁奶茶はとても高い!
张胜和小笼包という店で小笼汤包と小鲜肉馄饨を食べる(21元)。
これぐらい食べれるだろうと思ったのに、小笼汤包を食べたらもうお腹いっぱいになって、ワンタンを無理やり食べた。
小雨が降っていたので自転車に乗るのはあきらめ、歩いてホテルまで帰る。
頭痛がしていたので、薬を飲んで部屋で休み、夕方大分マシになったので淮河路歩行街をブラブラ歩く。
屋台が集まっている場所があったので、何か美味しそうなものはないかみてみる。
結局、食べたことのない小吃より、日本にもある大判焼きが無難ということで、紫薯と香芋と绿豆の3種類の大判焼きを買って帰った(10元)。