北大東島での2日目。
昨日、午後2時過ぎに到着したのに、到着した日に島を一周して観光スポットは周ってしまった。
昨日と同じ時間に到着する飛行機で南大東島に向かうので時間たっぷり 💧
今日も自転車を借りていたので、気に入った場所をもう一度まわることにする。
北大東島灯台
昨日は行くのが漏れてた。
ホテルの近くにある。
特に何の変哲もない灯台なんだけど。
灯台のそばに、「第二大隊守備記念碑」と刻まれた太平洋戦争の記念碑がある。
燐鉱山遺跡
おさかな市場と書かれている。
海が荒れていて漁に出ていないので閉まっているのか?
西港の近くに燐鉱山の建物や構築物の跡が散在している。
遠くに埋もれかけているのは煙突か?
手前にロープが張られていて中に入れないと思ってた。
ところが、菅の中をのぞいていて、反対側に観光のプレートみたいなものを発見!
いったん西港に下りたら反対側に回ることができた。
反対側からこのプレートがちらっと見えたのだった。
石採掘事業の歴史は、南北大東島の 開拓事業に着手した玉置商会が、南大東島では、作農事業を主に推進したのに対し、北大東島では燐鉱石採掘事業を中心に行った事が始まりでした。 玉置商会は、沖縄本島北部や伊是名、宮古、八重山諸島から労働者を募り、明治43年(1910年)に階段式の露天掘り 採掘事業を開始していました。しかし知識と技術の未熟さから事業を軌道に乗せることが出来ず、翌年には廃止に追い込まれてしまいました。
それから、約8年後の大正7年(1918年) 第一次世界大戦により燐鉱石の価格が暴騰し、沖大東島のラサ鉱業(株)は、全盛期を迎えていました。玉置商会から北大東島の経営権を受け継いでいた東洋製糖(株)は、これに刺激を受け沖大東島を視察し、採掘運搬、積込方法などを習い北大東島での設備工事に着手しました。翌年には燐鉱石貯蔵を含む大規模な設備がほぼ完成し、採掘事業は再開されました。
採掘した鉱石は、洗鉱分別し、トロッコにより乾燥工場に運ばれ、大型ドライヤー機で乾 燥した後、最後に天日干しをして、貯蔵車で搬 出を待ちました。 燐鉱石の運搬は、桟橋の先端に象の鼻のように伸びたじょうごから艀におとし、本船に運ぶ方法が取られていました。アルミナ鉄の含有量が多く含まれていた北大東島の燐鉱石は、肥料や火薬の元となる製燐原料の他、戦闘機を作るアルミの原料に適していたことから、採掘事業は活気を帯び、最盛期には台湾などからの出稼ぎで島の人口は約4,000人にまで膨らみ、年間22,068トンもの燐鉱石を搬出していました。
戦後、米軍により大型機械化が導入されましたが、手掘りと異なり土や石が一緒に搬入されてしまい品質の評判が落ちました。 昭和25年 (1950年) には燐鉱所は閉山されました。
こうして、事業開始以来80万トンの燐鉱石を積み出した燐鉱石採掘事業の歴史に幕が降ろされたのです。北大東島の歴史の証として1919年に建てられた「燐鉱石貯蔵庫跡」が当時の面影を今に残しています。
こっちは、ロープが張られてない。
とはいえ、コンクリートが頭の上に落ちてきたら大けがをするので、中には入らず、外から写真を撮った。
西港公園はきれいに整備されてるけど誰もいない。
国標の説明プレートの「北大東島の国標に記され 内容は次のとおりである。」の下が削れている。
でも、ちょうど写真の大きさに合わせて意図的に削られたように見える。
ググったら、なんて書いてあったかわかった。
東西大凡一里半南北大凡四里 明治十八年八月三十一日 建立
沖縄県管轄北大東島 距本庁大凡百三里
沖縄県 奉命実地踏査者
沖縄県五等属 石澤兵吾 同 十等属 久留彦八
同 警部補 神尾直敏 同 御用掛 藤田千次
同 巡査 伊藤祐一 同 巡査 柳田弥一郎
大東ピラミッド
エジプトのピラミッドと同じく三つ並んでいる。
ピラミッド同様、閑散期の失業対策かと思ったが、これもググると漁港建設の残土を積み上げた「残岩処理場」と書かれてた。
昨日は夕方だったので薄暗くて気付かなかったが、中央には階段もついてた。
北港の近くの岩場では、波が岩に当たって、煙のように上がっていた。
沖縄海
左手が空港、右側が海。
干潮で海が荒れてなかったらプールになってるらしいが、今日も大荒れ。
白く泡立ってる。
プールの降り口がこんな感じ。
あちこち岩に打ち付けられて死ぬな 💀
昨日、波しぶきをもろに頭からかぶったので、波がかからないようにずっと後ろのほうで見ている。
瀬戸内海とは比較にならない波の大きさで。
北大東島でここが一番気に入った。
北大東村立北大東小中学校
中学校の向かいの役場。
10時チェックアウトなので、いったんホテルに帰ってシャワーを浴び、荷物をロビーに置いておく。
小中学校の向かいにある「JAおきなわ 北大東支店」でアイスキャンデーを買って、店の外の椅子に座って食べていたら、学校からエイサーが聞こえてきた。
運動場で小学生(中学生も?)が、太鼓を打ち鳴らして踊りの練習をしていた。
北大東島の人口は約700人だそうなので、生徒はもっと少ないと思ってた。
沖縄は出生率が全国一だからか?
もう行くところがなくなったので、ロビーにあるテーブルで暇つぶしに単純な仕事をして時間をつぶす。
滞在時間がまるまる1日あるので、もう少し時間配分を考えたらよかったな。
飛行機は14時45分、ホテルからは1時半に送迎がある。
隣の南大東島までたった20分間、実際の飛んでる時間はもっと短い空の旅。
プロペラのエンジンが邪魔だったけど、北大東島がちらっと見れた。