現在林家園邸の総敷地面積は6054坪。清の咸豊三年(1853年)に林家が三落大厝を建て、引き続いて汲古書屋と方鑑斎などの建物を完成させた。光緒十四年(1888年)に至り、林維源は巨額な資金を投入し、五年にわたって全面的に修築し、各園内の景色を調和させ、一座の体系的な庭園を形成し、光緒十九年(1893年)に全部落成した。
林本源園邸(後編)
三落大厝
三落大厝的格局宏偉而嚴謹、建材考究、不論石雕、木雕、磚雕或是泥塑、彩繪、剪黏、工藝精緻、裝飾技巧至為豐富、毫無疑問地、它是台灣清代古宅之典範佳例。
14時前に三落大厝(cuò)の入口前に集合。
全員で15人程度、日本人は私一人、午前中にガイドのことを尋ねていた白人が一人(台湾人の通訳同伴)だった。
30分前に林本源園邸の入口前でもらった引換証を渡して三落大厝のエリアに入場する。
事前に、三落大厝は未だに林家の所有物であり、見学の条件として、建物の外からは写真を撮ってもいいが、建物の中では写真を撮ったり、物に触れたりしてはいけないと注意を受けた。
建物の前に碑があるが説明は忘れた・・・。
台湾に渡ってきた林家の始祖は途中で嫌になって本土に帰ってしまったが、その子供の林平侯が頑張って林家繁栄の礎を築いた。
林平侯には5人の子供がいて、その中で優秀な国華と国芳が三落大厝を建てた。
昔は三落大厝だけでなく、五落大厝もあったそうだ。
台中の霧峰林家にもあった蟹の装飾がある。
「蟹(解)元及第」といって科挙に一番で合格するという願いを表している。
扉には龍のような彫刻が施されていた。
汲古書屋
早在咸豐年間、林國華與林國芳兄弟即建造汲古書屋於三落大厝之後院。汲古書屋為藏書之所 、屋前有四柱軒(xuān)亭及土臺、屋後隔著一座屏山與方鑑齋為鄰、具防火災之作用。
書物を保管していた建物で、風通しがいいように作られていると言っていた気がする。
方鑑斎
方鑑齋為昔日讀書之所、平時亦是騷人墨客吟咏(yínyǒng)唱和之處。前有一方形水池、水面如鏡、故稱為「方鑑」。池之四邊各有建築、包括戲亭、看臺、遊廊及假山小橋、依遊廊前行可至來青閣。廊牆上刻有名人書法、惜年久剝落、可辨者很有限。
池の向かいに戲台がある。
こちら側には国華と国芳が勉強をしていた部屋がある。
そういえば、窓枠に竹の形をしたものがはめ込まれていて、竹には節があって云々と言っていたが聞き取れなかった。
來青閣
來青閣為全園最高、最華麗的建築、閣前有戲亭、額題曰(yuē)「開軒一笑」。來青閣結構精巧、為二層閣、昔日貴賓下榻(xiàtà)之所。登樓四望、青山綠野盡入眼底、故名。
二階建ての建物で賓客をもてなした場所で、現在は二階には入れないが、昔、日本の皇族も二階に滞在したことがあるそうだ。
天井には鶴の細工が施されている。
ガイドは台中の霧峰林家にも行ったが入場料が高いし、霧峰林家は地震で一度倒壊したのを復元しているが林本源園邸は昔のままだと話していた。
関西人が東京の人をくさすみたいなもん?
來青閣の前にも舞台があり、「開軒(xuān)一笑」と書かれた額が飾られている。
回廊の壁に壺の形をした等身大のくり抜きがある。
ガイドがツアー参加者の中からモデルを選んで、壺の中に立ってもらい何を表しているか謎々を出した。
誰も分からなかったが、答えは「身在福(壺)中不知福」
私も今のホワイト会社を辞めたら感じるのかもね (-ω-)/
香玉簃
「簃 (yí) 」是一種閣樓邊的小屋。香玉簃左右有迴廊銜(xián)接來青閣、定靜堂及月波水榭、是一個中繼性質的景點、它的主景並非建築本身、而是前方的花圃、為園中觀賞奇花異卉的地方、是林本源園邸中較為開闊之地。
建物の横にバラ園がある。
日本の国花は菊じゃない
何の話からだったか忘れたが、ガイドが庭園の説明をしている中で「日本の国花は菊だ」と言っていたので、思わず「日本に国花はない」と言ってしまった。
以前に私も菊か桜のどちらだろうと疑問に思ってググったことがあり、公式に定められた花はないというのを知っていた。
ところが、そのガイドは「日本人のガイドから聞いた。あなたはガイドの資格があるのか?」といって、同業の人が言っていることが正しいと言い張る。
日本語だけどググった結果をみせて「ほら、ネットにも日本の公式な国の花はないって書いてあるよ」と言ったがどうやらまだ信じていないようだった。
月波水樹
月波水榭 (xiè) 係*1 坐落於池中之方勝形建築、有橋可通、其旁岸邊有一假山、山有洞題曰「拾級」、拾級而上可登屋頂平臺。
湖の中に浮かんでいる箱舟のような建物。
板橋という地名は日本人がつけたと説明があった。
説明の詳細がよく理解できなかったので後で調べたら、元は「枋橋」と言っていたのを日本統治時代に「板橋」に変えたらしい。
昔はペンペン草が生えてた
庭園に秋楡にうわってあり、この樹は固いので手すりに使われるという説明があった。
するとツアー参加者の一人が、「昔はこんな樹はなかった。ここら辺はわやちゃんこでペンペン草が生えとった」というようなことを言った。
ガイドは「後から植えたのかもしれない」とフォローしていたが、吉祥の説明よりこういったやり取りのほうが面白くて記憶に残っている。
定静堂
定靜堂為園佔面積最大的四合院建築、取自《大學篇》「定而後能靜」而命名、昔日為林家招待賓客舉行盛大宴會之所。內部多不隔間、全為開敞式廊廳。中庭設穿心廊、空間高敞、具氣宇軒昂之勢。
ガイドが「狗咬×××」がどうのこうのと話していたが、「×××」は人名のようで他の参加者は笑っているが私一人がポカン状態。
後で調べて、「狗咬呂洞賓(人を見分ける目がない)」の呂洞賓という仙人の話をしていたのだとわかった。
こういうとき、中国人や台湾人なら誰でも呂洞賓という固有名詞を知っているが、中国文化に詳しくない私は聞き取ることができない (´ω`)
禄を食むの禄と「鹿」をかけたのと、後は何だったか忘れた。
説明を聞いてすぐにメモらなかったので、後から写真を見ても思い出せない。
榕蔭大池
榕蔭大池有巨榕垂蔭、故稱為「榕蔭大池」、池中有小島、以拱形石橋連接之。島上有方亭、昔時題額曰「雲錦淙(cóng)」、意為匯聚之水面。池北分佈著開屏成列之假山群、並置釣臺、方亭、疊形亭及敬字亭點綴(diǎnzhuì)其間。
庭園を一周して最後に大池がある。
昔は交通が不便だったので、本土と台湾の間を今のように簡単に行き来できなかった。
このため本土の漳州の風景を真似た築山を作ったらしい。
觀稼樓
觀稼樓為樓閣建築、形體小於來青閣、故被稱為小樓。以登樓可以遠眺(tiào)附近農田莊稼、盡收仟佰相連之景而得名、另一涵義為體恤(tǐxù)農忙之苦。樓前有書卷雲墻及一對八角門、樓後有軒亭、左右各有小院、頗為精緻
昔、つがいの孔雀を飼っていたらしい。
ところがオスが死んでしまい、メスだけが残ってしまった。
孔雀のメスは、派手なオスと違って地味な茶色の鳥なのだが、どういうわけかオスのように派手な羽目飾りに変わってしまった。
そのメスはどこかの動物園に引き取られて今はいない。
メスがオスに変わるなんてほんまかいなと思いながら聞いていた。
回廊の出入り口をガジュマルがすっかり覆ってしまっている。
まるまる2時間かかって4時にガイドツアーが終わった。
やっぱりガイドの説明を聞きながら見て回ると、なかなか聞き取れないところがあるものの理解が深められて面白い。
ランタン祭
西門で下りて中山堂のランタン祭を見に行く。
まだ明るかったので、明かりが灯っていない。
明るい時間だとただの張りぼてで、やはり暗くなってから見たほうが値打ちがある。
台北犂記
台北駅まで歩いて、タロイモの大判焼き(25元)を買って食べながら、構内の犂記にいってみるがパイナップルケーキのばら売りはしていなかった。
Youbikeに乗って台北犂記にいって、中国語学校のお土産にパイナップルケーキを購入(220元)。
山西蕃茄牛肉面
夕飯は炒飯が食べたくなって、ホテルの近くにあるローカルな小さな店に行った。
炒飯(80元)と酸辣湯(50元)を注文。
安いけどとても美味しかった。
*1:文語文・・・である