おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.7万円、半分在宅勤務のハケン社員になりました

八田與一記念公園と烏山頭ダム観光

台南にやってきたものの、市内観光は過去にしているので、一度は行ってみたいと思っていた烏山頭ダムに行くことにした。

かつて元台湾総統李登輝が、台湾の発展に最も寄与した日本人として名を挙げた八田與一技師が指揮して完成させたダムである。

大分・別府市でバイクに乗った大学生2人に車で追突し、2人を死傷させ今なお逃走を続けている八田與一と同姓同名である💦

台南駅から普通電車に乗る。

林鳳營駅で下車。

駅のロータリーの脇にYouBikeがあるのに気付いて、Googleマップで調べたら30分程度と出た。

近くにいた女性に、自転車で行ったら遠いか尋ねたら、「めっちゃ遠い」と言われた。

坂道があるかもしれないし、汗をかきそうなので諦める。

Uberで150元ぐらいだったので呼んでみるが、応答する車なし。

Uberも諦め、当初の予定どおりバスで行くことにする。

駅前にあるバス停から台南芸術大学に向かう「黄1」路線に乗って嘉南里で下車すればいいのだが、便数が多くない。

大型バスなのに乗客は私を入れて4人しか乗ってなかった。

嘉南里で下車すると真ん前が「八田與一紀念公園」。

バス停のすぐそばに「八八田自行車出租」というレンタサイクルの店があって、高齢の婦人が出てきた。

前輪、後輪に変速がついた自転車が一日150元(約750円)。

「パスポート預ける?」と聞いたら「預けなくていい」と言われた。

まずは八田与一銅像を見に行こうと、Googleマップで探すと、道路沿いに行くより「八田與一紀念公園」の方から回ったほうが近かった。

銅像のある一帯は「烏山頭水庫風景区」という有料エリアだが、「八田與一紀念公園」の脇から入ると無料で入れてしまう(このときは有料と知らなかった)😅

坂道を登っていく途中、ギヤチェンジをしたら、チェーンが外れた。

チェーンを直してたら両手が真っ黒 😟

銅像はダムの一番高いところからダムを見下ろすように置かれている。

八田の部下だった人々が資金を出しあって鋳造したもので、ダム完成の翌年1931年7月8日に設置された。

戦争中や蒋介石が統治していたときは、軍事用に溶かされたり、破壊されないよう地元民に守り隠されていたらしい。

なお、2017年4月に頭部が反日右翼によって切断され持ち去られている 😡

ってことは、首から下が1931年製、頭部は2017年製なのかな。

銅像の前には、八田與一の経歴が書かれている。

1886年石川県の生まれ。

また銅像の後ろには、八田與一夫妻の墓があった。

敗戦後、日本に帰らなかったのか?敗戦前に亡くなったのか?と思ったが、後ほど謎が解けた。

銅像の前は芝生の広場で、右手にダム湖が広がる。

堤防の手前に蒸気機関車が展示してあった。

ダム建設時、蒸気機関車は用材を運搬するための重要な輸送手段でした。ダムと隆田の間にはナローゲージの鉄道が敷設され、ダムから約20キロ離れた大内の石仔瀬にある曾文渓の川底から、小石や土砂、粘土が混じった土壌を運んでいました。これは総延長1,273メートルの堰堤を建設するための資材として用いられました。また、蒸気機関車は旅客や学生、作業員の交通手段としても利用されていました。
ここに陳列された機関車はベルギー製で、1920年から1930年まで使用されました。最大寸法(ミリメートル)は長さ6260×高さ2882、重量12.5トン、水槽容量1.5立方メートル、石炭容量0.7立方メートル、動輪直径726ミリメートル、牽引距離2,856キロ、牽引重量218トン、運行速度は時速19-25キロとなっていました。

この堤防が烏山頭ダム

高くそびえてるコンクリート製じゃない。

堰堤頂部は海抜66.66m、長さ1273m、高さ56m、堰堤頂部の幅は9m、底部の幅は303m。

コンクリートの土台を中心部にだけ用い、大量の土砂にポンプで大量の水をかけ、粘土と土砂を水圧で固めて築堤する工法「セミハイドロリックフィル工法」で作られた。

って書かれててもチンプンカンプン。

めちゃくちゃ大きなダム湖

嘉南平野の農業灌漑を主目的として建設された烏山頭ダムは、1920年から1930年まで10年の歳月を経て竣工されました。上空からは緑色の珊瑚のように見えるため、ダム湖は「珊瑚潭」と呼ばれています。このダムは冒文渓の支流である官田渓を堰き止めて造られ、湖の面積は約13平方キロメートル、湖に流れ込む川の面積を含めた集水面積は60平方キロメートルとなっています。農地面積9万ヘクタールの嘉南平野は、このダムの建設による潅漑で台湾最大の穀倉地帯になりました。

ダムの反対側。

「臥堤迎暉」と刻まれた石碑。

背面に「龍流澤烏山下、護平疇百姓家、向青山環綠水、光五穀照桑麻」の句。

龍がうず高い湖に水を流し、黒い山の麓で朝日を迎える。堤防は平らな田園地帯と人々の住居を守り、緑水を囲む青い山々を迎え、太陽が穀物や桑麻を照らしている。

ダム湖を遊覧船みたいな船が通過していたので、その方向に行ってみる。

太陽光発電の遊覧船のよう。

ちょうど着岸したところで乗客が登ってきている。

次の便が11時だったので、せっかく来たから乗ろうと急いで自転車を置いて下りていった。

チケットには300元と書かれてたけど、250元だった。

船の周囲には鴨が集まっていた。

八田與一がフィリピンでなんちゃら、妻が自殺した」とかいう遊覧船の放送が聞こえてきた。

八田與一は1942年、フィリピンの綿作感慨調査のため「大洋丸」に乗って出航して長崎沖でアメリカの潜水艦に撃沈されて死んでしまい、妻の外代樹も敗戦後の1945年に烏山頭ダムの放水口に投身自殺したのだった。

遊覧船には乗ったものの、景色は単調であんまり変わり映えしない。

ダム湖は、サンゴのような形をしてるので「珊瑚潭」と呼ばれている。

遊覧船は東膏蚋坑の奥で折り返して帰ってくる。

乗船時間は30分ちょっと。

約100年前に造られたダムが今も現役。

堤防を下ったところにビジターセンターがあって脇に「天壇」がある。

なんでこんな場所にって感じ。

zhizuchangle.hatenablog.com

吊り橋があるので渡ってみる。

吊り橋の上から、ダム湖の溢洪道(放水路)が見える。

水位が58.8mを超えたら湖水があふれ出るようになっている。

八田與一記念館」は12時から13時まで昼休憩で閉まってた。

旧送水口。

八田與一の妻、外代樹が身投げしたのはここ?

身投げした1945年9月1日はダム着工25周年の記念日だった。

1977年に別の場所に新放水口が完成したが、今でも補助の役割を果たしている。

針閥(バルブ)で水量を調整する。

旧送水口には6つの針閥があるが、一番左のバルブは発電のために取り外したので、ここに展示してある。

「平圧塔」は六角柱で、放水口の水門の開閉の瞬間に送水管内の圧力を軽減し、送水管内の水圧を安定させるための施設。

噴水じゃなかった💦

近くにはプールがあった。

あらかた観光を終えて、最後に「八田與一紀念公園」に入ろうとしたら、「チケットは?」と聞かれた。

ここで初めて、有料施設であったことを知った💦

もうこのまま「八田與一紀念公園」に入らずトンズラてもよかったけど、車道沿いに行くと、果たしてチケット売り場があった。

入場料は100元。

八田與一紀念公園」は日本庭園風(あくまで風ね)と八田與一らの日本家屋を再現してある。

第二次大戦中に使われた防空壕

堰堤係長の阿部さんのお宅は純和風。

八田與一のお宅は和室と洋室の両方。

正確な図面は残ってなくて、昔の写真などを元に復元したと書いてた気がする。

八田與一が乗っていてアメリカの潜水艦に沈められた大洋丸の模型。

1,360名の船客、乗組員のうち817名が亡くなった。

棚の上に全家福(家族写真)が飾られていて、子供が5、6人いた。

たくさん子供がいるのにどうして身投げしちゃったんだろう。

当時の工事の様子。

大量の水を土砂に放水して水圧で堰堤を固めていくセミハイドロリックフィル工法。

八田與一紀念公園」を観光しながら、Googleマップでバスの時間を調べると13時20分だった。

すでに13時10分過ぎ。

急いで自転車を返しに行く。

自転車屋さんの老婦人が、家の前のマンゴーの木から落ちた実をくれた。

「土芒果」って品種だろうか。

ホテルに帰ってから食べたら、かき氷店のマンゴーと違って、筋がいっぱいであんまり美味しくなかった。

タダでくれたのと、お金を払ったのとでは違ってて当然か。

このマンゴーの木から落ちてきた実。

そんなやり取りをしてると、乗る予定だったバスが通りすぎていった。

次のバスの便まで1時間😭

Googleマップ情報だと、レンタサイクル店の前の「嘉南里」じゃなく、さっきのチケット売り場の前の「烏山頭水庫」のバス停の方が早い便があることがわかったので移動。

また乗り過ごしたら最悪なので、来るバス毎に手を挙げて止めて、どっかの駅に行くか尋ねる😅

台湾好行の菱波官田線のバスが、隆田駅に行くことがわかった。

バスが今、どこら辺を走っているかわかる。

私が待ってるのは③の場所。

一人も乗客がいない・・・。

隆田駅でバスを下りて、台南駅に戻る。

台湾なら中国語が話せるから、行き当たりばったりで遠出してもなんとかなるかなって感じ(たぶん)。