おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

対馬に行ったら対馬藩札をもらった!

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博多港からジェットフォイル

歩いて博多港へ。

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シュウシュクレというパン屋で朝食(800円)。

f:id:zhizuchangle:20211128193921j:plainジェットフォイルのチケットは旅行前に予約しておいた(14,540円)。

博多10時半発、壱岐経由、対馬(厳原)12時45分到着。

もっと波しぶきを飛ばして進むのかと思ってた。

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対馬(厳原)サイクリング

思ったよりコンパクトな街。

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とりあえず、ホテルに荷物を置かせてもらう。

対馬独自の観光キャンペーンをやってたようで、対馬藩札という5,000円分のクーポンをもらった!

知らなかったからめちゃ得した気分 😀

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マックスバリューがある。

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観光情報館 ふれあい処つしま

自転車をレンタル(4時間700円)。

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金石城跡

金石城は宗氏の居館が置かれた城である。居館が置かれた発端は、享禄元年(1528)に起きた一族の内紛で、当時の居館であった池の屋形を焼失し、金石原の地に逃れた14代代宗盛賢が建てたのが金石屋形である。
体裁を整え、城となったのは17世紀後半のことであった。1659年と1661年に起きた大火事の後、街を整備し、城壁を整えやぐらを建て、現在の城の体裁が完成した。
なお、その後、三代藩主義真は1678年に桟原に居館を造って住まいを移し、幕末に至った。

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背後に旧金石城庭園があって無料で入れた。

庭園といっても写真に写っているのがほぼすべて。

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萬松院(ばんしょういん)

​歴代対馬藩主と正室および一族の墓所である。三つの御霊屋があり、上御霊屋には義智から宗家三二代義和までの藩主と正室、中御霊屋と下御霊屋には十代貞国と側室および童子の墓が並ぶ。また、本堂西側の池泉庭奥には宗家出身者や一族を葬った裏御霊屋がある。
元禄年間以降に起きた大火で建物を焼失しており、現在の本堂 および庫裏は明治一三(一八八〇)年に再建されたものである。 さん もん 焼失を免れてきた山門は、江戸時代前期の建立と考えられる。

入場料300円。

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諫鼓(かんこ)

領主に対し諫言しようとする人民に打ち鳴らさせるために設けた鼓。

「諫鼓苔蒸す」善政によって諫鼓をならす必要がなく苔が生えた状態。
「諫鼓鳥」諫鼓の上に鳥が遊ぶ⇒領主が全盛を施して諫鼓を用いる必要がない。

閑古鳥じゃなくてもとは諫鼓鳥だった?

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「萬松(枩)精舎」と書かれている。

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朝鮮国王から奉納されたと伝えられる万松院の三具足(香炉、花瓶、燭台)

世界ふしぎ発見!」かな、なんかのテレビで見た記憶がある。

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上御霊屋

手前は国書偽造に端を発する「柳川事件」の際の藩主で、日朝修好体制を確立させ、佐須銀山の開発と藩政の基盤づくりを成した20代・第2代藩主義成と夫人の墓。

今度、高野山に行ったら、宗家の墓があるか探してみよう。

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対馬博物館

残念ながら2022年4月開館予定で入れず。

対馬の歴史って面白そう。

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嚴原八幡宮神社

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氏江家屋敷長屋門(対馬藩家老)

かつては、馬場筋と称する大通り(現在の国道382号線)に沿って、宗家の家臣たちの屋敷が立ち並び、人の背丈より高い石垣塀が続いていたらしい。

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立派に見えるけど実は薄っぺらい 💧

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桟原屋形の高麗門

1678年に完成した桟原屋形の第三門。

右には「対馬市立厳原幼稚園」と書かれた木札がかけられていた。

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対馬藩校・日新館正門

もと津島藩主宗氏の中屋敷門であったが、幕末には藩校日新館に用いられた。
日新館は、幕末時代対馬藩勤王党の拠点であったが、藩の内紛によりその多くが憤死して痛恨の歴史を遺したことで知られている。

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桟原(さじきばる)屋形跡

サイクリングマップに載っていたからわざわざ行ったのに、陸上自衛隊津島駐屯地になってて、奥に石垣が見えるだけだった 😟

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港に戻るとちょうどフェリーが出ていくところだった。

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対馬藩お船江跡

対馬藩の御用船を係留した船溜まり。

1663年の造成で、築堤の石積みは当時のまま。

しょぼい遺跡が多い中、ここは保存状態がいい。

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すしやダイケー

5,000円分の対馬藩札を消化するため、地元の回転ずしにやってきた。

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時間が早いせいか客が誰もいない 💦

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対馬穴子が名産らしいので食す。

他に地元産のタコと鯛を食べるが、やっぱマグロが好き。

9皿食べて2,662円。

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清水城登山

自転車を返すとき、Googleマップでは辿りつけなかった清水山城への登り方を教えてもらう。

対馬博物館の裏に登山口に続く道があった。​

清水山城跡は、有明山(五五八・二m)から延びた東の支脈先端にあたる清水山の尾根上に立地する、一六世紀末の文禄・慶長の役に際して築かれた城である。天正期、豊臣秀吉朝鮮半島の釜山に兵を送るために、本営とした肥前名護屋城から海を渡った後の中継地として、壱岐の勝本城とともに築いたと考えられる。イエズス会宣教師のルイス・フロイスは著書『日本史』で、これに関し、秀吉は壱岐対馬に「屋敷と宿舎、食糧用貯蔵庫」の建築を命じたと記している。しかし、その構造を見る限り、いわゆる御座所の機能は清水山城ではなく金石城に担わされていた可能性がある。秀吉の築城指令を記す史料は確認されていないが、例えば文化六(一八〇九)年に編纂された『津島紀事』では、秀吉の命により毛利高政が築城したと書かれている。なお、築城者については、近代に出された、対馬領主の宗義智が主力になり、相良長毎、高橋直次、筑紫廣門らが加勢したとする説が有力である。
城は一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸と呼ばれる三つの曲輪からなり、延長は約五〇〇mである。標高二〇八mの山頂部から南東の標高九五mまでの高低差のある地形に位置する。各曲輪は尾根筋の平坦部に石垣を築いて造られており、尾根沿いの石塁でつながっている。尾根は岩盤が露出した狭隘な地形のため、曲輪をつなぐ石塁も一〇m程の狭い幅で囲われた回廊状になっている。

三の丸

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Googleレンズで文字を読み取るのが面倒くさいのでそのまま貼り付け。

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二の丸

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さらに山を登っていく。

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一の丸

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一の丸は門が二つあった。

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厳原(いづはら)の市街が見渡せる。

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山を見てたら登りたくなってきた。

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帰りは遊歩道から帰る。

今の時間から有明山に登ったら帰りは真っ暗だろうからやめとく。

観光は萬松院だけにしといて、有明山に登ればよかった。

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