おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.6万円、半分在宅勤務のハケン社員になりました

熊本地震から8年後の熊本城

熊本城は、2016年4月14日から16日にかけて発生した熊本地震で建物や石垣が甚大な被害を受けた。

あちこちで地震があるから、いちいち覚えてなくて、あとで8年前の同日に起きたのだと知った。

このあと行く「日本一の階段」の途中にあったから立ち寄った 😅

熊本市に来たの初めてじゃないかな。

入場チケット(800円)は窓口に並ばなくてもネットで買える。

二ノ丸駐車場が一番近いみたいだけど、わからなくて三の丸駐車場にレンタカーを停めた(200円)。

二ノ丸広場まで続く階段の両側は石ころが金網で覆われた状態になってるけど、これって石垣が崩れた跡?

階段を登り切ったところにも石がいっぱい置いてある。

二ノ丸広場。

大阪城みたいに人いっぱいじゃない。

二ノ丸広場から堀ごしに天守閣が見える。

宇土櫓は地震で被害を受けて覆いで囲われている。

二ノ丸広場から西大手門があった場所に行く。

片方の堀は水がちょっと溜まってる。

反対側は木が茂ってる。

もう8年も経ってるのに、ほとんど復旧されてない感じ。

もう適当に積み重ねてコンクリートでわからないように補強しちゃったらいいのに。

地震前と同じように直したところで、それはもう元とは違うんだし。

台湾人、韓国人、外国人多し。

天守と小天守

宇土櫓(うとやぐら)は、築城当時の姿を保っている唯一の多重櫓。

地震で受けた被害が間近で見れる。

もう耐震の鉄筋コンクリート造りに建て替えたらいいのに。

横手五郎の首掛け石。

怪力で知られた横手五郎が築城の際に首にかけて運んだという伝説があるが、実際は、本丸御殿の中庭にあった手水鉢の台石で「ロ」字の形をしていたと考えられる。1877年の西南戦争開戦直前に本丸御殿で火災が起こり、高熱を受けて破損して現在の形になった。

反対側に回ったら順光で写真が綺麗に撮れた😀

西南戦争直前に火災で焼け落ちたが、昭和35(1960)年、鉄筋鉄骨コンクリート造りで再建された。

木造で再建するより、鉄筋コンクリート造が手がかからなくていい!

熊本城 - Insta360

天守閣の中は、加藤清正の建築から近代まで、熊本城の歴史が展示されている。

西南戦争で西郷軍の攻撃を受けたけれど難攻不落だった。

10代藩主細川斉護が用いた鎧。

そういえば、昔、細川家の当主で総理になった人がいたっけ。

東の阿蘇山の方向(たぶん)。

入ってきた二ノ丸広場の方向。

西南の方向に、空中回廊みたいなのが見える。

天守

天守閣をでて、本丸御殿下の闇り通路。

観光用の空中回廊。

ここの石垣は崩れてない。

熊本城 - Insta360

石垣が一部崩落している。

西出丸の未申櫓(ひつじさるやぐら)。

明治時代に解体されたのを2003年に木造で復元。

売店にあった加藤清正の鎧。

西南戦争籠城将校家族避難跡

石垣が完全に崩落してる。

もうコンクリートで作って、外側だけ石垣に見えるようにしたらいい。

加藤清正を祭った「加藤神社」。

清正公の旗立石。

文禄の役記念として、明治42年肥前名護屋城より移したもの。

清正公お手植えの樹。

慶長六年(西暦1601年)より慶長十二年の熊本城築城の際、大天守前の銀杏と共に、加藤清正公がお手植えされた銀杏の樹。