おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

時間つぶしに彦根城を見学

午後3時前にJR彦根駅に到着して、ホテルにチェックイン。

滋賀に来た目的は明日の伊吹山だが、時間が早いので彦根城を見学に行く。

彦根城は、近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)にある城。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城松本城、姫路城、松江城)。(Wikipediaより)

堀の脇に護国神社がある。

佐和口多聞櫓の右の建物は開国記念館になっている。

入場料無料だったが、後回しにしたら閉まってて入れなかった。

表門で天守玄宮園のチケット購入(800円)。

博物館もセットだと1,200円だったが、時間がないので博物館は入らず。

ちょうど博物館の前ではひこにゃんのショーが開催されていた。

天秤櫓

大手門と表門からの両坂道を登りつめたところにある。この廊下橋に接続する櫓門部分を中央に、両坂道に面している多聞櫓の角を二重櫓とすることで、左右対称となっており、天秤櫓の名の由来となっている。

彼岸花が咲いている。

太鼓門及び続櫓

天守がある本丸表口をかためる櫓門で、城内合図の太鼓を置いたところから名付けられたと言われている。どこかの城門を移築したもの。

ひこにゃん張りぼてがあるけど逆光。

彦根城天守

天守は3階3重の屋根で構成されている。大津城から移築されたといわれ、政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れている。

井伊直弼って彦根城の藩主だったのか、知らなかった。

井伊直弼は、カルト宗教の怨念じゃなく、政治的対立で暗殺された立派な人物。

天守には82ヶ所の鉄砲狭間と矢狭間がある。

4~5人が隠れられる広さの隠し部屋が2階と3階にそれぞれ2ヶ所ある。

西は琵琶湖が望める。

どっちの方角だったっけ?忘れた。

世の中は3連休の最終日とあって人が多い。

階段がめちゃくちゃ急傾斜。

西の丸三重櫓及び続櫓

西の丸の西に建つ櫓で、さらに西に張り出した出曲輪との間に深い堀切が設けられている。西方の搦め手(裏手)からの敵に備えた守りの要だった。三重櫓は、この搦め手を見下ろす位置に設けられ平時には琵琶湖を監視する役目もあった。

井戸曲輪

黒門から本丸へ向かう坂道の途中に設けられた小曲輪。 弧状に築かれたこの曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀が巡っていた。塩櫓の近くには方形と円形の桝が現存してお り、石組み溝で集められた雨水を浄化して貯水するタイプの井戸であったと考えられる。この曲輪の上下の石垣は、高さが10mを超える高石垣となっている。とくに下方の石垣は高さが19.4mあり、彦根城の石垣の中ではもっとも高く堅牢な構造となっている。

楽々園

旧藩主の下屋で、槻御殿の名のほかに黒門外屋敷とも称されたが現在は楽々の間にちなんで楽々園と 呼ばれている。1677年四代藩主直興により造営が始 まり、1679年に完成、その後数回にわたり増改築が行われ、往時には能舞台を備えた広大な建物であったが 現在では書院や地震の間、雷の間、楽々の間等の一部が残っている。

玄宮園(げんきゅうえん)

玄宮園下屋敷である槻御殿(現楽々園)に伴う後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園である。

表門を出て、内堀沿いに大手門に行ってみる。

大手門跡。

この先には梅林があるが、秋に行ってもしかたないのでここまでで引き返す。