おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.6万円、半分在宅勤務のハケン社員になりました

南大東島 原付で一日観光

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昨日はきれいな夕焼け空だったのに、夜中から雨が降ってた 😥

いつもなら6時には起きてるけど、雨が降ってるのでぐずぐずしていたら、ようやく8時前に降りやんだ。

またいつ降り出すかわからないので、降り出してもすぐに帰れるように、自転車から原付に変更してもらう。

原付は滑るから気をつけてと言われた。

去年、石垣でぶっこけて頭を打ったので、一応、学習能力はあるつもり 😆

星野洞

最初に南大東島で必ず見ようと思っていた星野洞に行く。

zhizuchangle.hatenablog.com

西港

お地蔵さま

お地蔵さんは沖縄本島では見られない大東文化。

明治になるまで無人島で、八丈島など沖縄以外からの入植者もいたため、本土の文化も根付いていたということだろう。

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​上陸記念碑

新天地を求め、第一回開拓者二十三名が南大東島への上陸に成功したのは、明治三十三年 (一九〇〇)一月二十三日のことで、時の船長は、小島岩松であった。彼は豪胆沈着で、開拓主玉置の「帰郷再挙を図れ」の召電にもめげず、難航すること三度、遂にその目的を達成した。碑は右から、開拓主玉置半右衛門翁の命によ り初上に成功した第一回洋丸船長小島岩松 陸記念碑。次いで真ん中が、明治三十七年暴風雨に遭遇、沖縄近海で死亡した故小島岩松ならびに、島の開拓に貢献した開拓事務長山田多恵吉(明治四十五年四月十日死亡の碑、 左端が、大東島開拓と鳥島爆発記念の碑とな っている。
最初の頃は(明治三十七年初期に建立)木柱 で、玉置所有船第一回洋丸船長小島岩松外乗組員の碑と、烏島爆発記念碑の二本であったが、昭和五年に鉄筋コンクリートに建て替え られ、現在のように三本になった。

なんで鳥島爆発の記念碑まで大東島に建てるのか不思議。

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南大東島開拓百周年記念

大東島に来るまで、昔から琉球王国に属してて琉球の人が住んでた島だと思ってた。

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玉置半右衛門の銅像

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波が港の上まで打ち寄せてる。

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星野洞の受付の人が、与儀商店にパンがあるか電話をかけてきいてくれてたので、ふるさと文化センターに行く前に与儀商店にパンを買いに行く。

パンは菓子パンでなくハンバーガーだった。

おにぎりもあったので、おにぎりを購入(結局、大阪に帰ってから食べた)。

ふるさと文化センター

サトウキビを積んで島内を走っていた蒸気機関車

トラックの普及により昭和58年に廃止された。

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島の何ヶ所かに当時のレールが残っている。

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入場料200円。

館内には昔使われていた日常用品が大量に展示されてるが、ありきたりなものなので写真は撮ってない。

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ポールW・キャラウェイ中将の像がふるさと文化センター前の広場にあるが、土地問題について理解することができた。

本村の農地は明治33年以来、国有地であった原生林を玉置商会が借受け、同商会と開拓農民との間に貸付期間満了後は 農民に所有権が払い下げられるとの口約で、前人未踏の地に、農民の自力自費を投じて至難にして崇高な開拓が進められ、大正の初期には略全農地が開墾された。
大正5年に至り、経営不振に陥った玉置商会は、事業権を東洋製糖株式会社に売り渡し、諸々の経過を経て東洋製糖会社は土地の所有権も取得した。 しかし、昭和3年、同社は大日本製糖株式会社に合併されたため、 南大東島は大日本製糖株式会社の所有地となった。 結果、島は会社が経営支配するという日本国中に類例のない社会制度が昭和21年まで続いた。 昭和26年に至り、農地の所有権は開拓農民及びその後継者にあるという先の事実に基づき、村長以下全村民が団結して土 地所有権認定問題を関係当局に提起し、大日本製糖会社とも折衝を重ね問題解決に努力したが島の支配者も変転されているだけに困難を極めた。昭和36年6月、 時の琉球列島高等弁務官キャラウェイ氏来島視察のさい、土地問題を本村の基本的重要問題として直訴した。高等弁務官キャラウェイ氏は要請を受けいれ、島の土地問題は米国民政府土地裁判所において審理することになり所有権の帰属について係争が続けられた。
昭和39年7月30日、高等弁務官の採決に当事者が合意し、1679ヘクタールの農地は無償で農民に所有権が認められた。
一方残余の宅地等は、大日本製糖会社から琉球政府に条件付寄贈され、後に琉球政府から村が条件付贈与を受け村は各使用者に売り渡した。
村民の悲願であった土地所有権問題は、ここに開拓創始以来 「64年6ヶ月8日」 目にして解決した。

玉置商会はアホウドリでがっぽり設けてたのに、農民と口約束しかしてなかったってひどい会社だな。

その後、大日本製糖株式会社が島を所有していたため、島に渡るには会社の許可証が必要だったし、島内独自の流通貨幣があったそうだ。

ざっくりいえば、農民は製糖会社の小作状態にあったのを、ポールW・キャラウェイ中将が土地を農民に分配して解放してくれたってことか。

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南大東島における相撲は、玉置の開拓時代から江戸相撲が青年活動の一環として始められていたが、大正9年10月の大神宮の社殿並びに拝殿の落成を契機に、東洋製糖会社工務課長、太田磯次郎(北海道有珠郡出身)の協力を得て化粧廻しを新調し、土俵入りや相撲甚句による手踊りなどが土俵上で演じられるようになった。幕内の最高位は大関で、以下、関脇、小結、前頭1枚目から5枚目までの、東西計16名の選抜された力士によって取り組みが行われる。優勝戦は、幕外優勝者(幕外にて5本抜き達成者)を加えた、幕内力士全員による5本抜きで争われ、成した者を優勝者とし優勝廻し(現在は優勝旗)が贈られた。しかし、力の均衡した力士同士による5本抜きは、夕暮れを迎えても決っせず、力士は疲労困憊ながらも、それぞれへ声援を受け自分の名誉と、家族の名誉のために持てる力の限りを尽くし戦った。この、5本抜きによる優勝戦は、9月23日の豊年祭において現在も行われている。尚、ここに展示、保管中の化粧廻しは、あの砲弾が飛び交った戦争中にも大事に保存され、79年を経た今日においても、一本も失うことなく全て現存する。

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カエルの死屍累々

ふるさと文化センターを出るとき、島の飲料水はどうしているのか尋ねたら、海水を真水に換えているとのことだった。

また、島内の生き物の展示に蛇がいなかったので尋ねたところ、島内に蛇はいないとのこと。

道理で、北大東島南大東島も、道路にカエルが死屍累々になってると思った。

天敵がいないので大繁殖して、道路に出てきたカエルが車に踏みつぶされる構図。

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並べたわけじゃなく、最初から3匹が固まって死んでた。

与那国島は馬糞が道路のあちこちに落ちてたけど、大東島ではぺしゃんこになったカエルの死骸がいっぱい落ちてる。

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死んでるのかと思ってつついたら目をつぶって身動きしなくなった。

これじゃあ、簡単に踏みつぶされるわけだ。

それにしても、なんか醜いカエルだなあ。

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ご飯を食べようと思ったが、少し時間が早かったので、大東寺の跡を見に行く。

大正8年に庫裡が完成、大正14年に納骨堂と山門ができたが、空襲で焼失、門柱だけが残っている。

ってことは島内にはお寺がないってことで、お葬式とかどうやってるんだろう?

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大東そば いちごいちえ

ゲストハウスのオーナーに、昼に営業しているのが3店舗あり、ここで大東寿司が食べられると教えてもらった。

店の名前、こんな離島に早々くることないから本当にぴったり。

北大東島で品切れで食べ損ねたので、今度こそ食べたい。

右に停めてあるのは、ゲストハウスでレンタルした原付。

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大東そばと大東寿司のセット(1,000円)。

テーブルに醤油が置いてなかったので、そのまま食べたら、酢飯になってて、食べやすくて美味しかった。

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大東神社

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Googleレンズで調べると、「パキラ」という花っぽい。

Googleレンズで、簡単に画像から調べられるようになって便利。

また、写真の文字を解析、コピペする機能もあるので、写真で撮った観光スポットの説明文を手入力しなくてもよくなった。

この文章の引用もすべて写真からGoogleレンズで読み取ったもの。

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地面に落ちてもなお綺麗。

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右手に土俵があって、看板みたいなのが立っているのは、歴代の大関だったか優勝者の名前が書かれている。

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相撲が開催される時期にくるのも楽しそう。

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明治になってから人が移住したので、琉球じゃなく日本式の神社。

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南大東漁港

北大東漁港とおなじような岩場を穿ってできたでっかい漁港。

手前の湾内は波が大きいが、奥の漁船を停めているところは穏やか。

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最近、ニュースで話題になっている、小笠原諸島の海底火山・福徳岡ノ場の噴火によって流れてきた軽石が、ここにも少量漂っていた。

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昔はクレーンで漁船を出航、帰港させてたらしい。

そんな不便なんじゃ、安心して船を停められる港が欲しくなるか。

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バリバリ岩

南大東島の観光スポットと言えば、「星野洞」と「バリバリ岩」、知らんけど。

大東島はフィリピン海プレートにのって1年に7センチ動いていて、その影響で岩盤が二つに割れてしまっている場所。

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奥に進むと洞窟のようなものが。

気味が悪いのでここで帰ろうかとも思ったが、中に進んでみる。

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トンネルになっていた。

足元もぼろいけど階段になってる。

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雨が降った後は滑りやすいので足元、要注意。

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地殻変動で一つの岩が避けてこの空間ができたってこと?

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突き当りは、奥行き数メートルの真っ暗な洞窟になってた。

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本場海岸

島の北側の海岸。

どこで見た資料だったかな、大東島はサンゴ礁がなくて、島からいきなり深さ4,000mの深海になっているんだって。

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階段の下を白濁した波が渦巻いてる。

大波が来るかもしれないので、写真を撮ってすぐ下がる。

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島まるごと館

入場料200円。

何年も前に撮られたような写真が展示してあるだけ。

展示物もぼろい。

よって何も写真を撮ってない。

スタッフが一人いたけど、無人・無料にして開放したほうがいいと思う。

唯一の収穫は、星野洞で見たでこぼこの鍾乳洞を「洞窟珊瑚(ケーブコーラル)」と呼ぶと知ったこと。

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大池展望台

島まるごと館にある地図に掲載されていたスポット。

階段にロープが張られて進入禁止になってた。

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環境省が設置したボックスが島内のあちこちにあるが、何を計測してるのだろう?

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大池とオヒルギの群生が見れるとのことだが、オヒルギってどれだ?

結局、展望台に登ってる 😆

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海軍棒プール

時間が余ったので、昨日行った海軍棒プールにまた行ってみる。

行く途中、「南大東村闘牛場」の門跡があった。

他の島と違って、大東島では牛や馬を見かけなかったけど、昔は牛を飼っていて闘牛させてたのか?

1986(昭和61)年1月3日に竣工と書いてあるブログがあったが詳細不明

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本日も波が高い。

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今まで撮った他の海岸もそうだけど、波が高い日は「キケン・立入禁止」と書かれたゲートが閉まってる。

入る場合は自己責任で。

みんな「自分だけは大丈夫」と思って、痛い目に遭うのである 😟

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一度大波がきて、手前の岩のところまで波が洗った。

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大衆居酒屋ちょうちん

いったんゲストハウスに帰る。

結局、いっときパラパラと小雨が降っただけですんだ。

ところで、昨日チェックインするとき、オーナーに「今は店が開いてるから2日目夕方はお店で食べたらどう?」と提案された。

もともと2日目も自転車を借りる予定だったので、自転車で町の中心部まで行くのも面倒くさいなと思って、保留にして、レンタサイクルと弁当代、まとめて4,600円を払った。

ただ、その4,600円が2日分のレンタサイクルと3食弁当なのか、2日分のレンタサイクルと2食弁当なのかわかってなかった。

オーナーに確認しようと思ったがいなかくて、食いっぱぐれたら与儀商店で買ったおにぎりしかないので、夕飯を食べにいくことにした。

もし今晩もお弁当があれば、明日の朝食にしてもいい。

「大東そば いちごいちえ」のそばにある「ちょうちん」という店。

5時に着くと、中の明かりがついてるけど、『準備中』の看板がかかったまま。

他にどこの店が空いてるかわからないので、ドアを開けて中をのぞくと、中に入れてくれた。

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せっかくだからお刺身を食べようと思ったが、やっぱ漁にでてないからか品切れ。

生姜焼き定食(700円)を食べる。

出された料理を見て、あれ?なんか昨晩お弁当で食べた料理と盛りつけが同じ!

カウンターの上には、昨日食べたのと同じと思しきパッケージが。

お店の人に尋ねると、やっぱりここのお弁当だった。

でもって、今日ももうしばらくしたら、お弁当を1つ取りに来るという。

それってひょっとして私の分?

それとも他の宿泊客?

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店をでてゲストハウスに帰る途中、オーナーが乗った車とすれ違った。

しばらくして、オーナーが帰ってきて、私の部屋をノックした。

やっぱ、私の弁当だった 😂

朝食にしようと思ったが、まだトンカツが温かかったので、すぐ食べる。

ちょっと白米が多かったけど、2食分完食!

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翌日、大東島を帰る日はめっちゃいい天気。

昨日がこんないい天気だったらよかったのに 😥

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飛行機からの眺め。

右下にでっかい南大東漁港が見える。

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海底火山の噴火でできた軽石が帯状に海に漂っている。

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那覇空港に到着。

定刻に到着して、無事ジェットスターの乗り継ぎに間に合った。

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