おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.7万円、半分在宅勤務のハケン社員になりました

高取城ハイキングとだんご庄

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長崎雲仙のハイキングで1ヶ月だけYAMAPの有料会員登録してしまったので、地図が無制限にダウンロードできる間に『日帰り山あるき』のハイキングコースをこなす。

今回は奈良県高取山で、見どころは壷阪寺と高取城跡。

07:00 大阪阿部野橋駅

若い時、近鉄南大阪線沿線に住んでたことがあるが、特急券を買うのがもったいなくて特急に乗ったことがない。

10分待ったら急行があったけど、初めて近鉄の特急に乗車(特急券520円)。

壺阪山駅まで乗り換えなしで45分程度。

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07:45 壺阪山駅

YAMAPの記録開始。

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昔の風情が残る「土佐街道」。

飛鳥時代、都造営のために土佐から労役で連れてこられた人が帰郷できずにこの地に住み着いたのが由来だとか。

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こういう地区って、どういう家を建てるか暗黙の了解があるのだろうか。

建築費や維持費が高くつくし、近所付き合いが面倒くさそう。

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集落を抜けると壷阪寺に行く小道がある。

大した坂はなさそうだとトレッキングポールを持ってこなかったが、蜘蛛の巣を払うのに必要だった。

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08:40 壷阪寺

大宝3年(703)元興寺の僧弁基が創建。
弁基上人が山中にて修行中秘蔵の水晶の壺中に観世音菩薩を感得したので、その壺を坂の上に安置して供養し、壺阪観音を模刻して本尊とした。
平安時代に全盛期を迎え、清少納言の『枕草子』にも、「寺は壺阪、笠置・・・」と讃えられている。
数度の大火で焼失し、室町時代に再建された一部の建造物を残すのみ。

拝観料(600円)を払って入る。 

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インドの仏像が展示されている。

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本尊分身の十一面千手観音菩薩像 

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吉祥天と婆藪仙人は千手観音の脇侍。

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たぶん一番奥にいるのが弁基上人。

三脚を使っての撮影じゃなければOK。

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壷阪寺は昔から眼病に霊験あらたかな寺として信仰を集めてきたそうだ。

浄瑠璃で『壺阪霊験記』という演目があり、歌舞伎にもなっている。

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壷阪寺HPより

大仏の石像はどれもインドで作られたものだとか。

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禮堂と三重塔は国指定重要文化財

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《天竺渡来大観音石像》

これもインドで製作して日本で組み立てたらしい。

小指と人差し指じゃなく、中指を立てた方が貫禄が出ると思う w

あるいは人差し指と薬指をたてるとか「グワシ!」

そういや淡路島の大観音像ってもう解体されちゃったんだろうか。

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大観音と同じ石山の残った石から作られた御手。

これで実物より一回り小さいってマジ!?

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《天竺渡来大涅槃石像》

これもインドで分割して作って日本で組み立てたので、切れ目がはっきりしてて、体が切断されてが流れてるみたい w

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《 天竺渡来 大釈迦如来石像》

これも人件費が安いインド製 (-ω-)/

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《天竺渡来 大石堂》

納骨堂もインド製。

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09:35 五百羅漢

坪坂寺を出て、背後の山道を登っていく。

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すると岩にたくさんの仏像が彫られた「五百羅漢」がある。

蚊や虫がたくさん寄ってくるので、写真を撮りながら急いで歩く。 

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手前には現代の石像がいっぱいあるけど、大量生産品じゃ有難味が感じられない。

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山道に沿ってあちこちに点在している。

《十一面尊》

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《施無畏像》

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《五社大神》

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《三社尊》

苔に覆われて一番右の3体目がほとんど見えない。

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《冥救地蔵》と《奥の院三尊》

風雨に晒されてどんどん見えなくなっていくのは惜しい気がする。

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10:00 高取城

しばらく歩くと高取城跡の石碑があった。

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高取城跡の西側の壺阪口郭から場内に入る。

車で来る場合も、この近くに駐車すると歩く距離が少なくてすむ。 

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《壺阪口門跡》

以降、やたらと「ナンチャラ門跡」という場所がいっぱい出てくる。

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《壺阪口中門跡》

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《大手門跡》

大手門は「御城門」とも呼ばれ、場内への入口である「二の門」「壺阪口門」「吉野口門」から城内に進むと、この「大手門」の前でひとつになる。この大手門が二ノ丸、本丸への唯一の入口である。
本丸はまさに高取城の中心であり、高取山の最高所(標高583.61m)にある。二ノ丸は高取城で一番広く日当たりのよい平場があり、藩主の屋敷や政庁があった。

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《十三間多門跡》

この門を入ると二ノ丸の広場がある。

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《二ノ丸跡》

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二ノ丸方向から見た太鼓櫓台と新櫓台

綺麗に城郭が残っている。

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大和高取城、美濃岩村城備中松山城を日本三大山城というらしい。

あんまり興味なし。

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《十五間多門跡》

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本丸方向から見た太鼓櫓台と新櫓台

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ご神木の樹齢700年の大杉「芙蓉姫」。

後ろの城壁が天守台。

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天守台の城壁。

Wikipediaによると昭和49年に修復されている。

写真じゃわかりにくいけどかなりの高さがある。

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木彫りの熊と天守閣がお出迎え。

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切り株をくりぬいて作ったんだと思われるがよくできている。

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《本丸》右奥の石垣が天守台。

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3層の小天守があったらしい。

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天守台の上に高取山の三角点があった。

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天守台の上から二ノ丸を見下ろすとけっこう高い。

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《千早門跡》

帰りは三の丸の横を通って北に向かう。

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《松ノ門跡》

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石垣がかなり崩れている。

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《矢場門跡》

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少し道を逸れて《国見櫓跡》に向かう。

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場内の北西に張り出した場所にあたり、奈良盆地はもとより、気象条件がよければ大阪平野の奥に兵庫県六甲山や滋賀県比叡山まで望むことができる。

左手の山並みはこの間登った葛城山

右端の小山は耳成山で、中央右寄りが畝傍山

景色を見てたら、ブンブン音がしてアブかと思ったらでっかいスズメバチで走って逃げる 💦

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《二ノ門跡》

「二の門」は三つある場内への入口の一つである。門の前には山城では珍しい水堀(池)があり、堀の両端を堤にてせき止めている。また「二の門」へは、この西側の堤の上にかけられた、欄干のついた橋をわたっていた。水堀は大阪湾にそそぐ大和側の支流「高取川」の源流である。

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二ノ門を出たところに真っ黒な水堀があった。

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二ノ門を少し下ると《猿石》

飛鳥の「猿石」と同様に現在の明日香村平田から掘り出され高取城築城の際に石垣材として運ぶ途中にこの場所に置かれたようである。飛鳥時代の政策と考えられている。猿石がのせられている台石は古墳の石材の可能性がある。

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《一升坂》

城下町から城へと登るこの道は古くは「大手道」と呼ばれ、往時は今より道幅は広く、馬や駕籠が行きかっていた。この長い直線の「一升坂」は、高取城築城の際に、急坂であるため石材を運ぶ人夫に米一升を加増したことによるといわれている。

長い階段を下ってきて後ろを振り返ったところ。

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《七曲り》

私は「壺阪口門」から城内に入ったが、当時の高取城跡の雰囲気を味わうには、こっちのルートから上がっていった方がいいように思う。

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《宗泉寺》

この辺りは別所郭と呼ばれ、高取山中に点在する曲輪のひとつである。高取藩主植村家の菩提寺である宗泉寺を中心に侍屋敷の平場が連なっており、曲輪の入口には高取城の一の門である黒門があった。

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明治の廃仏毀釈で衰退、戦後に中興されたそうだ。

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「日本最強の城高取城」と書かれたのぼり。

日本最強って、こんなクソ辺鄙な山城をわざわざ誰が攻めるんだ?

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サルスベリの花。

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児童公園の表門として復元された《松ノ門》

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11:40 町屋カフェnoco noco

土佐街道」に戻ってきた。

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宇治金時とアイスコーヒーのセットで休憩。

Googleマップで、斜め向かいにある観光案内所「夢創館」に行けば高取城の動画が見られることを知る。

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観光案内所「夢創館」

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中で高取城の説明と当時の様子を再現した動画を見せてもらう。

当時の様子のCGと現在の様子の映像を並べて映した動画もあるが、編集がへたでわかりにくかった。

今の様子からは想像がつかないが、こんな威容を誇る城だったらしい。

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だんご庄

途中、坊城で下車。

いつもは大和八木の店舗に行くけど、今日は坊城の本店。

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今回、ハイキングで奈良を選んだのはこれを買うため!

前回、葛城山に登ったときはお金を持ってくるのを忘れて買えなかったけど、今回は忘れずに小銭入れに5千円を入れといた。 

ブログで前回いつ買ったか調べたら2020年4月30日以来、1年以上買ってなかった。 

そうそう来れないので50本まとめ買い(3,750円)。

1箱25本入っていて、日持ちしないので1箱はそのまま冷凍庫に保管しとく。

もう1箱は半分だけ食べるつもりが、買ったその日に全部食べた 💦

ハイキングでカロリー消費した以上に吸収したな・・・。

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青色は壺阪寺と高取城跡を観光でウロウロしてた部分。

いつもとそんなに変わらないペースで歩いたつもりなので、平均ペースが110-130%といつもより遅いのは青い観光してた時間帯のせいだろうな。 

高取山 / ちゃんらーさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

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