おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.6万円、半分在宅勤務のハケン社員になりました

サルに占拠された街ロッブリー観光

サルに占拠された街として有名なロッブリーに電車で日帰り観光。

バンコクからロッブリーへ

タイ国鉄のアプリで予約、発券、乗車する。

アユタヤに比べると、列車の本数が少なくて、前日予約するとき、往きはもう1席しか空いてなかった。

9時5分バンコク発、10時28分ロッブリー着(289B)

17時28分ロッブリー発、18時55分バンコク着(289B)

往復とも特急で冷房車。

滞在時間は7時間。

MRTでシーロムからバンスー中央駅に行く。

8時前に着いたので、今回も、国歌斉唱の全員起立を体験できた😄

アユタヤに行くときと反対側の席に座ったら、アユタヤまで高架工事をしていた。

高速鉄道を新設なのか、既存のが移るのかはわからないけど、中国なんちゃらと書かれた幕がかかってて、SANYの建機が動いてて、タイ・中国間高速鉄道プロジェクトの一環らしい。

ロッブリー駅にはサルのマスコット。

ロッブリー駅で下車した外国人観光客はほとんどいなかった。

ワット・プラシーラッタナーマハータート Wat Phra Sri Rattana Mahathat(50B)

駅のど真ん前にある。

ワット・プラシーラッタナーマハータートが築かれた確かな年月は明らかでないが、クメール様式の中央の塔堂(プラーン、prang)は、おそらく12世紀に構築されたものと考えられる。

その後、時代とともに改修や増築が繰り返された。特に、17世紀のアユタヤの王ナーラーイ(在位1656-1688年)は、自身の住居である宮殿プラ・ナーラーイ・ラチャニウェートを寺院のすぐ近くに置くと、ワット・プラシーラッタナーマハータートに、特徴的なアーチ窓を備えた礼拝堂(ヴィハーン、Viharn )を建立し、小形の塔堂や仏塔(チェーディー、chedi)を周囲に追加した。王ナーラーイの死後、ロッブリーは見捨てられ、寺院は廃墟と化した。(Wikipedia

 

寺院にはプルメリアが何本も植えられていた。

正面の本堂。

左側にある礼拝堂。

その奥には仏塔がいっぱい。

少し離れたところにある仏塔。

階段は登れるが、内部は入れない。

仏塔の上から見ると、寺院寺院はこんなに広い。

ごらんのとおり、他に誰も観光客がいないし、サルもいない。

そしてクソ暑い🥵

クメール様式の塔堂はかなりでっかい。

一部に漆喰のレリーフが残っている。

アユタヤ朝のナーラーイ王が建てた礼拝堂。

300年以上前の建物なのにちゃんと屋根が残ってる。

寺院周辺の回廊。

プラ・ナラーイラチャニウェート国立博物館 King Narai's Palace(150B)

「ワット・プラシーラッタナーマハータート」の裏側(北西)にある。

離宮の周囲は塀で覆われていて、本当は、北東の門から入らないといけない。

そうとは知らず、有料とも知らず、たまたま工事の関係で開いていた南東の門からはいった。

工事をやってたタイ人がジロジロ見てたので、ここから入ったらダメだったのかなと思ったが、何も言われなかったのでそのまま観光した😜

観光し終わってから北東の門に行くと料金所があったのでちゃんと入場料を払った。

アユタヤ王朝第3代・ナーラーイ王によって、即位した1656年に現在の中央部ロッブリー県に建設された離宮崩御した1688年まで雨期以外、ナーラーイ王はここで海外からの来賓と接客し、アユタヤ朝の統治をしていたと伝えられています。ナーラーイ王は、西洋諸国との外交・貿易を盛んに行っていたなどのこともあって、アーチ型の玄関の宮殿をはじめ、迎賓館のバーン・ウィチャエーンやカトリック教会など西洋の建築様式を取り入れた建物が数多く造られました。また、バンコク王朝のラーマ4世王(在位1851-1868年)が夏の離宮として修復のうえ、さらに新しい宮殿を建設。現在、これらの宮殿はアユタヤ王朝の品々約1,800点を展示する博物館として使用・公開されています。また、ナラーイ王時代に建立されたクメール様式のプラング・サーム・ヨード(三つの塔堂)やプラング・ケークなど周辺には比較的きれいに整備・保存されている遺跡が数多く点在し、短時間で回ることもできます。(タイ国政府観光庁HP)

17世紀、アユタヤ王朝のナーラーイ王はオランダの侵攻を恐れ、万一の場合、アユタヤから遷都できるようロッブリーを副都に定めたので、ナーラーイ王の在位中は栄えたそうだ。

The Water Tank

宮殿内のさまざまな建物に水を供給するために、フランスとイタリアのイエズス会によって建設された。

The Twelve Royal Storage Buildings

2列の煉瓦造りの建物で12個の部屋があり、王朝の所有物や海外貿易用の商品を保管する倉庫だったと推測されている。

The Reception Hall for Foreign Visitors

倉庫の隣には外国使節のレセプションがあって、囲むように池がある。

Phara Chao Hao Hall

「プラチャオハオ」という本尊が安置された王室礼拝堂だったと考えられる。

Suthasawan Throne Hall

ヨーロッパ建築様式の建物でナーラーイ王はここで亡くなった。

Dusisawan Thanya mahaprasada Throne Hall

前部はフランス風、後部はタイ風の建築様式らしい。

ナーラーイ王はここで各国使節と謁見した。

祈りをささげる敬虔なタイ人。

ナーラーイ王の像が祭られている。

博物館

写真が多いので別記事。

zhizuchangle.hatenablog.com

博物館から「バーン・ウィチャエーン」に行くとき、初めてサルを見かけた。

ここまでずっと見かけなくて、タイ人クラスメートに「🐵はどこ?」って聞いたぐらい。

バーン・ウィチャエーン Ban Wichayen(50B)

ギリシャ生まれで1675年にタイに渡来した後、王ナーラーイ(在位1656-1688年)のもとで大臣を務めたコンスタンティン・フォールコン(チャオプラヤー・ウィチャエーン〈Chao Phraya Wichayen、タイ語: เจ้าพระยาวิชเยนทร〉)の邸宅の跡でありチャオプラヤー・ウィチャエーンの家と呼ばれるが、もともとはフランス大使のために建てられた建造物であった。(Wikipedia

テラスがあっていかにも西洋風の建物。

奥の建物は煉瓦の屋根が残っている。

床にくぼみがあるのはどうしてだろう。

こちらの建物も床が低くなっている。

円形の階段とテラス。

こちらも半円形の階段があって、他の寺院の建築様式とは違う。

鐘楼を備えたカトリックのチャペルとはどの建物のことかわからず。

プラーン サームヨート Prang Sam Yot(50B)

「プラーン サームヨート」に近づくにつれてたくさんの猿がいた。

ニホンザルやタイワンザルのそばを通るのは緊張するけど、ロッブリーのカニクイザルは小柄で、いざとなれば日傘で撃退できそう。

店内に入るとすぐにドアを閉めないとサルが入ってきてしまう。

「プラーン サームヨート」の前の通りは、もう閉鎖してしまっているように見える家屋がたくさんあった。

寺院を支えているつっかえ棒ではない。

入場券を買ったら、サルを追い払う竹の棒をわたされた。

寺院はおそらく12世紀末から13世紀、クメール支配によるジャヤーヴァルマン7世(在位1181-1218年/20年)の統治時代に構築された。もともとの機能は明確ではないが、アンコールの多くの寺院と同様に、プラーン・サームヨートは当初ヒンドゥー教の寺院であり、3基の塔はヒンドゥー教神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神一体を表すものとされる。17世紀、アユタヤ王朝の王ナーラーイ(在位1656-1688年)のもとで寺院は修復され、上座部仏教寺院に改宗された。ナーラーイは煉瓦による礼拝堂(ウィハーン、wihan)を建立し、そこにアユタヤ様式の仏像を安置した。(Wikipedia

寺院の敷地の端に水がめが置いてあり、周囲に猿がいっぱい。

もう記憶にないが、バンコクのミニチュア遺跡テーマパーク「ムアンボーラン」でミニチュア版を見ている。

礼拝堂。

寺院の反対側に回ると、日陰になっているので、さらにたくさんの猿がいた。

寺院というより猿山。

動物特有の臭いが漂っている。

寺院の中に入ることができる。

サルが入ってこないよう金属の門がついている。

塔の上部に埋め込まれている仏像?

ここの仏像も破壊されている。

エサをねだる子ザル。

頭の上のほうを蝙蝠が飛んでいるのが見えたので、目視ではよく見えなかったが、写真を撮ってみた。

蝙蝠がいっぱい!

その他の遺跡

プラーン ケーク

「プラ・ナーラーイ・ラチャニウェート」から「バーン・ウィチャエーン」に行く途中にあるクメール遺跡。

これも三基の塔からなっている。

ワット ナコーン コーサー Wat Nakhon Kosa

駅の北側にある崩れかけた遺跡。

仏塔の裏に回ると数体の頭のない仏像。

仏塔は手入れがされてないから草ぼうぼう。

右奥にロッブリー駅がある。

列車もそんな頻繁に通らないし、大らかなのでみんな線路を自由に歩いてる。

反対方向は「プラーン サームヨート 」がみえる。

プラカーン祠

「ワット ナコーン コーサー 」のそば、道路の真ん中にある寺院。

入口に猿の像。

脱いだ靴を外に置いていたら、猿に取られるから建物の中に入れるように言われた。

エサをやるエリア。

この場所以外でエサをあげたら罰金2000元と書かれていた。

寺院の背後に古いクメール時代の遺跡がある。

「プラーン サームヨート 」もそうだが、積み上げられている煉瓦が大きくて色も赤黒い。

Wat Inthra

「ワット ナコーン コーサー」の線路を挟んで向かいにある小さな寺院。

サルが散らかしたのか、ごみが散乱してて汚い。

仏像の足だけが残ってる。

プラトゥーチャイ

昔は旧市街をぐるりと城壁があったのだろうか。

ここの近くのパッタイの店で食べようと思ったらもうクローズと言われた。

ワット バンダイハン

駅の左手にある寺院。

時間を持て余す

地図を見ても距離感を把握するのが苦手なのだが、駅周辺に観光スポットが集中してるので、時間を持て余すのではないかと思ったが、実際、その通りになった🤣

当初周ろうと思っていた「プラカーン祠」まで見終わって2時半。

ちょっとタイトかもしれないが、帰りは一本早い14時39分の便でよかった。

汽車の時間まで約3時間あるので、徒歩片道1時間の「ナーラーイ大王像」を見に行こうと思ったが、1/4も歩かずに、この暑さでは徒歩は無理だとわかった🥵

あきらめて、もよりのセブンイレブンで水分補給。

タイ人クラスメートが、タイの犬はコンビニの入口前が涼しいと知っていると言っていたのを思い出した。

ドリンクショップでハチミツレモンソーダを飲んで時間をつぶす。

付近の集落から通っているのか、たくさんの学生。

タイの列車って、何番線に列車が到着するのかが予め表示されてないので不便。

結局、列車の到着が30分も遅れて、バンコク到着は19時半。

夜に出歩くことがなくなったので知らなかったが、夜のタニヤ通りはそこそこ賑やかで、日本人もたくさんいた。

パッポン通りの屋台も復活(一度も買ったことないけど)。

「らあめん亭」で担々麺(270B)。

昔の割安感はもうない。

レバニラ炒め(200元)。

zhizuchangle.hatenablog.com