「中興向上路口」で下車して登山口まで歩くが、登山口まで20分以上かかる。
歩道橋から西の沙鹿区の方角。
ようやく集落に入る。
赤いテープをまいているのは祭ってあるのか?
乾隆11年(1746年)福建省から来た林さん3兄弟が大肚山に移ってきて居を構えこの地を開拓して「南寮」と名付けたそう。
魚池。
50年代水源がなくて困っていた時に東海大学の亨徳教授が水道水を引くのに尽力してくれたのだそう。
緑のC歩道と青色のA歩道で一周できそう。
南寮を開拓した林三兄弟を祭った「林氏宗祠」。
「林氏宗祠」のそばの長い階段を下りる。
1本だけ桜が咲いていた。
どうやらC歩道を歩いているよう。
なぜかずっと下り道。
これが「百年古井」らしい。
天然の湧き水で、もともとは平埔族が狩猟で利用していたが、林三兄弟が大肚山に移ってきて利用するようになった。
ポンプを押すと今も井戸水が出てくる。
飲めるかどうかは知らんけど。
割とたくさんの人が歩いている。
火力発電所の4本の煙突が見える。
ずっと下り道ということは、帰りが登り坂。
「鯉魚山公園」という公園があった。
駐車場と高速道路の場所に出てきた。
南寮登山歩道って、大肚山の反対側に抜ける道だったみたい。
こっちの登山口からだと、登って下ることになる。
高速道路下の「木本橋」を渡ってA歩道に向かう。
日本統治時代に台北師範学校を卒業した郷土の陳木本という人を祈念して命名したそうだけど、もっと立派な橋につけてあげたらいいのに・・・。
「仁者楽山」
仁徳の備わった人は、欲に動かされず心が穏やかでゆったりとしているので、おのずから安定したどっしりとした山を愛するものである。
A歩道を登っていく。
工事中と書かれていたが景観台に行ってみる。
工事中で入れず。
先までいったら眺めがよさそう。
対岸の山との谷間にC歩道が走っている。
「龍止観涼亭」という東屋。
向かいの山は「鯉魚山」というらしい。
歩き足りないのでスタート地点に戻らず、「百年古井」のほうにまた下る。
古井戸の近くから「瑞井登山歩道」につながる道があることを、最初に通ったときに見かけていたのである。
瑞井登山歩道に繋がる小径。
ちゃんと分岐では標識がでている。
「瑞井登山歩道」の入口。
「南寮登山歩道」と違ってすれ違ったのはたった一人だけ。
「瑞井登山歩道」の通りに進むか、「百年緬梔」と書かれた方向に行くか、夕暮れが迫っていて悩むが、「百年緬梔」に行ってみる。
YAMAPでコースを調べられない海外のハイキングは緊張する。
山奥に入っていくんじゃなくて畑に出てきた・・・。
前方にいるお年寄りの女性に「百年緬梔ってどっち?」と聞いたが、台湾語しか話せないのか聞き取れず。
「正徳宮」という小さな廟があった。
土地公を祀っているらしい。
ふと傍に植わっている木を見ると「百年緬梔」と書かれていた。
緬梔というのはプルメリアという木らしい。
もう瑞井登山歩道まで戻るのは面倒くさいなと思ったら、瑞井古井と書かれたオブジェ。
左に瑞井登山歩道に下りる道があった。
瑞井には三つの古井戸がある。
瑞井は昔は井仔頭という地名で、取水が困難で3つの井戸に頼っていたそう。
一号古井は一番上流にあり、飲み水として利用されていた。
二号古井は一号古井が不足したときの備え。
三号古井は衣服の洗濯用。
井戸というより水路っぽくて、これが三号古井かどうか確信が持てず、付近をさまよった。
でも最初の看板の写真をみると、これで合ってるらしい。
この辺りの家って煉瓦の家ばっかり。
やっぱ台湾の家の壁って煉瓦が標準仕様な気がする。
煉瓦って地震の時すぐに崩れそう。
煉瓦の家と少女の像。
水牛?
「大肚瑞安宮」という廟があって、バス停に近かったので、YAMAPゴールとする。
千里眼と順風耳の像がある。
ということは祭られているの媽祖である。
口コミによると、昔「大肚瑞安宮」がないときは村人が順番に媽祖の像を家に祭っていたらしい。
煉瓦の壁のアート。
バス停の近くにコンビニがあったので、バスが来るまでコーラを飲んでのどを潤す。
「彩虹眷村」が始発の323路のバスで朝馬に帰れた。
南寮登山歩道・瑞井登山歩道(台中) / ちゃんらーさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ