おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

「仁和寺の法師」の石清水八幡宮

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天王山を一周して阪急大山崎駅に戻ってきたが、まだ早いので、前から行きたいと思っていた岩清水八幡宮にいくことにした。

40年ぐらい前、中学の古文の教科書で習った「仁和寺の法師」と「高名の木登り」の話だけはなぜか今でも覚えている。

「高名の木登り」は「あやまちは、安き所になりて、必ずつかまつることに候ふ」。

今でも、危ないところをあと少しで乗り切れそうなとき、心の中で念じている。

仁和寺の法師」といえば「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり

仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩よりまうでけり。
極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。
聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、
ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ずと言ひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

これもブログで過去に2回引用している。

そういうわけで、仁和寺の法師が見損ねた岩清水八幡宮ってどんなところなのか昔から気になっていた。

 

阪急大山崎駅から川沿いにでると、対岸に石清水八幡宮のある山が見えている。

ところが、この川を渡るにはだいぶ迂回しないといけない。

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川沿いに右手に見える橋まで歩くが結構遠い。

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ここは3つの川が合流して淀川になる地点。

最初が嵐山の方から流れてくる桂川

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次に、琵琶湖から流れてくる宇治川

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最後に、奈良方面から流れてくる木津川。

正直なところ、3つの川が合流して淀川になっていると初めて知った。

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京阪の石清水八幡宮駅の近くにある頓宮からお参りすることにした。

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一ノ鳥居

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Googleレンズによると梅と出た。

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頓宮

私が行ったときは誰もいなかったけど、昔、ここには極楽寺もあって相当賑わっていたのだろう。

仁和寺の法師は極楽寺石清水八幡宮の本殿と勘違いしてお参りし、「他の人は山の上に登ってるのが気になるけど、肝心の石清水八幡宮はお参りしたから帰ろ」と言って本殿にお参りせずに帰ってしまう。

仁和寺から岩清水八幡宮まで片道ちょうど20kmある。

私は大体20km歩いたら脚が痛くなるので、仁和寺の法師も歩き疲れて、他の人が山に登っていくのが見えても、もうしんどかったんだと思う。

回廊に囲まれた一画を「頓宮」といい、毎年9月15日に勅祭「石清水祭」が行われます。石清水祭の起源は、九州・宇佐神宮から八幡男山への八幡大神遷座より、4年後の貞観5年(863)、宇佐神宮に倣って始められた仏教的な儀礼放生会」に遡ります。京都の葵祭、奈良の春日祭と並ぶ三大勅祭の一つで、真夜中に山上の本殿から続く行列は、現代によみがえった平安絵巻ともいわれています。
江戸時代以前は、回廊内の東に頓宮、西には現在の頓宮斎館の位置に、極楽寺がありました。極楽寺は元慶7年(883)、石清水八幡宮初代別当・安宗が建立しました。男山の麓の中心施設であり、高良神社とともに、『徒然草』第52段の、仁和寺の法師の逸話に登場します。鳥羽伏見の戦いの際に周辺の建物は焼失しました。八幡市の善法律寺に現存する宝冠阿弥陀如来像は、このとき極楽寺から移されたものと伝えられています。

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頓宮を過ぎると二ノ鳥居があって、その先に山に登る表参道と裏参道がある。

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昔は参道沿いにたくさんの坊があったようで、橘下坊跡、中坊跡、椿坊跡、豊蔵坊跡など、ところどころに看板が立っているが、せいぜい石垣だけで他はなんもない。

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階段を登りきると三ノ鳥居があり、本殿までまっすぐ参道が伸びている。

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参道の中央に「一ツ石」という石が露出していてお賽銭が置かれていた。

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手水舎があってその先に楼門。

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楼門を入ると立派な本殿がある。

平日でマン防だからか閑散としてて、もっと賑わっているのをイメージしてた。

仁和寺の法師の話の現地を確認できてよかった。

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楠木正成建武元年(1334)、必勝を祈願して奉納したと言われる樹齢約700年の楠。

その下の塀は、織田信長天正八年(1580)に寄進した土塀で、瓦と土を幾重にも重ねている。

信長塀は熱田神宮でも見た。

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「清め衣」と書かれていて、何のことかわからなかったが祈祷の際に首にかける黄色い布のことだった。

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清め衣がかけられている。

私は厄年とか信じてないのでなんもしてないが、実際、何もなかった。

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本殿の裏手に男山展望台がある。

ずーっと向こうに京都タワーが見える。

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5倍でこんな感じ。

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電車できたお年寄りは駅の近くからケーブルカーで登ってこれる。

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駐車場近くの小塔跡にあるモニュメント。

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逆光でうまく撮れなかったが、エジソン記念碑。

岩清水八幡宮境内に生えている竹が電球のフィラメントに使われたことを記念して作られた。

京都の竹とは知っていたが、石清水八幡宮の竹とは知らなかった。

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帰りは裏参道を下りて、「やわた走井餅老舗」で走井餅(5個入り750円)と桜ういろ(700円)を購入。

ハイキングするときは小銭入れしか持ってこないけど、お札も入れてきてよかった。

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天王山はYAMAPを使ったから頻繁にGPSにアクセスしてほぼ歩いた通りの記録が取れているけど、石清水八幡宮へいくときはYAMAPを使ってないので、かなりラフな記録になっている。

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