九度山駅から町石道(ちょういしみち)を通って、高野山奥の院まで歩く。
距離25km、6時間、上り(累積)2,188m!
YAMAPで記録を取り出してからは最長距離。
なお、YAMAP標準時間では9時間である。
もともと、昨日行く予定だったが、天気予報が雨だったので延期した。
朝5時過ぎに起きて、天気予報を確認して出かける。
- 08:00 九度山駅 出発
- 08:15 善名称院(真田庵)
- 08:30 慈尊院
- 10:00 丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ)
- 11:00 百町の町石
- 13:15 大門
- 13:30 壇上伽藍
- 14:00 奥の院
- 14:50 高野山ケーブルカー
08:00 九度山駅 出発
08:15 善名称院(真田庵)
関ケ原合戦の後、家康から高野山で謹慎を命じられ慶長5年(1600)に高野山に登り間もなく父子共に九度山に閑居した。昌幸は同16年(1611)に死亡(享年65歳)したのでその屋敷地に葬ったのがこの墓地である。その後、幸村は同19年(1614)に九度山出て大阪冬の陣、夏の陣に参戦し、元和元年(1615)茶臼山付近で壮烈な最後をとげた。
08:30 慈尊院
本堂の弥勒堂が、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録されているらしい。
おっぱいの形をした絵馬がいっぱい飾られている。
慈尊院を出ると根本大塔へ通じる町石道が始まる。
町石とは、弘法大師空海が建てた卒塔婆に由来する五輪塔形の石柱で、ひとつひとつに根本大塔を起点とした数字と仏尊を表す梵字が刻まれています。高野巡礼の人々は一町ごとに合掌して高野山への歩みを進めたと伝えられています。慈尊院から根本大塔まで合計180基の町石が一町(=約109メートル)ごとに道標のように置かれています。
柿畑の脇を歩いていくと木の皮と橋本市街が見える。
柿畑を上がっていくと展望台がある。
柿畑までは日当たりがよくて、帽子を被っていたが、柿畑を過ぎると林の中に入っていくので日陰になる。
道に小さなヘビ🐍がいて急いで逃げて行った。
今年🐍を見るのは初めてだ。
榧蒔石(かやまきいし)
弘法大師がこの道を通り高野山まで登る途中、当時の山崎の集落の貧しさを見かね、この石の上から榧(かや)の種をまきました。榧の木はアクが強く、虫に食われることもなく、成長に大変時間がかかることから、歪みも少なく木材として大変優れており、現在でも碁盤の材料や住宅の柱材に使われているほどです。また、実は、油分を多く含み、食用としても、搾って燃料としても使えます。山崎の地はこの榧の木のおかげで大いに栄えたと伝えられています。本来、この石は今より大きなものでしたが、昭和の初め頃、作業道を作るために一部が取り除かれました。
銭壺石(ぜんつぼいし)
1265年(文永二年・鎌倉時代)、覚斅(かくきょう)上人の発願により、20年という長い年月をかけ町石道が整備されました。整備作業の際、北条時宗の外戚である安達泰盛が、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせて与えたという伝承があります。銭壺は上部がくびれているため、欲を出してたくさんの銭をつかんでも手が引っかかって取り出すことはできません。そのため、大きな手の者でも、小さな手の者でもつかめる銭の量は大差なかったと言われています。
雨引山まで400mと書かれていて、寄り道して登ろうか迷ったが、この後の行程が長いので今回はあきらめて先に進む。
接待場
真言宗の開祖、弘法大師(空海)は835年3月21日に入定しました。毎年この入定の日に高野山で行われる法会を「御影供(みえく)」といい、大正時代の末期まで、人々は歩いて高野山を目指しました。当時、御影供の日に教良寺(きょうらじ)村の有志たちが高野詣の人々に、この場所で握り飯や湯茶の接待を行ったことから「接待場」と言い伝えられています。ここには弘法大師(空海)の石像があり、この石像を拝むと「遠く高野山奥の御廟を望む」と言われています。
町石道から丹生都比賣神社に下っていく道が分岐している。
丹生都比賣神社も世界遺産なので、寄り道をすることにする。
10:00 丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ)
かつらぎ町に下りてくると、稲穂が黄金色に実っていて美しい景色。
本殿、楼門および境内は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。
丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。
(丹生都比賣神社HPより抜粋)
立派な楼門。
この奥にある本殿に祀られている丹生都比売大神は、伊勢神宮に祀られる天照大御神の妹神で、稚日女尊(わかひるめのみこと)とも言うらしい。
再び、山道を上って町石道に戻る。
金剛童子杖の跡
岩の表面が窪んでいるのが杖の跡ということか。
標識のみで説明文なし。
二ッ鳥居
この鳥居は、弘仁10年(819)5月3日弘法大師によって建立された。(紀伊続風土記)
当時は木製であったものを慶安2年(1649)5月補陀洛院叟遍が私財を以って今の鳥居とした。
白蛇の岩と鳥居
この鳥居の奥にある大きな岩は、白蛇の岩(垂迹岩)といい、この岩の隙間に入り込もうとしていた蛇を、杖でつついて驚かせた僧が、丹生都比売神社からの帰途、この岩の前を通ると白い大蛇が岩の上の木に巻き付い て待ち構えていたという伝説があります。僧は自分の非を悟り、丹生都比売神社でご祈祷をして戻って見ると、大蛇はすでに消えていたといいます。その話しから、この岩には白蛇が棲みついており、この岩にお参りをして 白蛇の姿を見ると幸せになると言い伝えられています。
幸せになれなくても🐍なんか見たくない。
🐍じゃなくて木の根っこが岩に巻き付いている。
ゴルフ場の横を通る。
朽ち木に🍄がいっぱい。
11:00 百町の町石
ようやく百町に到達。
まだこの先、町石がまだ99個もあるのかと思うと・・・。
この手前で自動車道と交差していて、「矢立茶屋」という焼き餅を売っている店や自動販売機、トイレがあり、休憩している人がそこそこいた。
慈尊院から、丹生都比賣神社に寄らずに町石道を歩く場合、高野山までの唯一の補給地点になる。
家からペットボトルを2本持ってきていたので、トイレだけ利用。
袈裟掛石
弘法大師空海が、山を登る際に袈裟を掛け休んだと言い伝えられている石。 袈裟掛石は、高野山の聖域と俗 世の境界を示す「清浄結界」 を表しています。 鞍のような形をしていることから「鞍掛石」とも、この石の下をくぐると長生きするとも言い伝えられていることから「くぐり石」とも謂われています。
気づかなかったが、反対に岩と岩の隙間があったのか。
押上石
弘法大師空海の母公が清浄結界を越え高野山へ入山しようとした時、激しい雷雨が襲いました。親孝行であった空海は、この大岩を押し上げ、母をかくまったと言い伝えられています。今でも岩には、空海の手の跡が残っていると謂われています。
さすがにお腹が空いてきたので、持ってきたパンを歩きながら食べる。
看板とかなかったが、なんなんだろう?
鏡石
表面が鏡のように平らなことから「鏡石」と呼ばれてい ます。 この石の角に座って真言を唱えると願いがかなう (「心願成就」する)と謂われています。
小さな沢沿いを歩く。
左手上の方からは自動車道の車を走る音がする。
13:15 大門
ついに高野山の大門に到着 ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
YAMAPでは15時に到着する予定だったけど、だいぶん早くついた。
13:30 壇上伽藍
中門を入る。
立派な壇上伽藍。
去年、中に入ったので今回は写真を撮るだけ。
壇上伽藍まで行ったら帰るつもりだったが、予定よりずっと早くついたので、奥の院まで行くことにする。
明日が仕事じゃなかったら、高野山で一泊できるのに・・・。
金剛峯寺も去年入ったのでパス。
寺の前の駐車場は満車だった。
去年5月末は、みんながコロナ自粛をやってるスキに来たのでガラガラだった。
観光地がガラガラなのに味をしめて、旅行に出かけまくるようになった w
14:00 奥の院
一の橋
前を歩いていた女性は橋の手前でちゃんと一礼していた。
明智光秀の墓
たくさん有名人の墓があるが、今回、立ち寄ったのはここだけ。
墓石は五輪塔という、下から地水火風空の五大を表し、これに心(精神)を表す識大を加えてこの宇宙が構成されている。
明智光秀の墓は「水」の石が新しくしても割れてしまい、今の石は3つ目らしい。
これは本能寺の変で、光秀に火を放たれた織田信長が喉の渇きを覚えて恨んでいるからだって。
去年、恵光院のナイトウォークで聞いた話。
会社の墓にお参り。
昔は御廟の手前の玉川には橋がかかっていなくて、川の中を歩いて渡ったらしい。
そこで自分の足を清める代わりに、水向け地蔵の足元に水をかけてから御廟橋を渡るようになった。
写真を撮っていいのはここまで。
弘法大師はこの奥で三度三度のご飯を持ってきてもらって、何百年も引きこもり、ニートの生活を送っているらしい w
奥の院に参拝を済ませてYAMAPの記録終了。
14:50 高野山ケーブルカー
壇上伽藍から奥の院まで、アスファルトの道を歩いたら、一気に足が痛くなってきた。
さすがに極楽橋まで歩く気にはなれず、一の橋からバスでケーブルカーの高野山駅に向かう。
そういえば、腰を下ろしたのはバス停が初めてで、ハイキング中、一度も座らなかった。
去年は極楽橋から高野山まで往復とも不動坂を歩いたので、高野山ケーブルカーを利用するのは初めて。
ケーブルカーはSuicaが使えて、そのまま南海電車に乗れる。
ケーブルカーは特急の時間に合わせて出発だった。
別途、特急料金(790円)が必要なので、一瞬、躊躇ったが、もう些細な金額にはこだわらないことにしよう。
やっぱ指定席は快適。
日曜日に雲山峰に登った帰りにくら寿司に行ったときは、三連休だったので30分待たなければならず、あきらめて帰った。
今日は、腹ペコだし、待っても食べようと思ったら、すぐに座れた。
茶わん蒸しとマグロ尽くしの10皿。
家に帰った後、さらにジムに行って汗をかいた。
町石道はさすがに何百年も歴史がある道だけあって、藪道や蜘蛛の巣の張った道がなくて歩きやすかった。
パンも歩きながら食べたので休憩時間はわずか3分!
急な起伏がなかったので、2,188mも累積で登っているとは信じられない。
これに比べたら、よっぽど葛城山のほうがしんどい。
次回は黒河道を通って高野山に登ってみたい。
日帰りはしんどいので、また宿坊に泊りたい。
YAMAP、無料ダウンロードは2点までなので、また有料会員になった(580円) 💧
平均ペースより150~170%速いペースで歩いている。
平坦な道ではそんなに変わらなくて、上り坂で年配者は一気にスピードが落ちるので、そのぶん、相対的に速くなっているのだと思われる。
町石道(九度山〜高野山 奥の院) / ちゃんらーさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ