おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

急な休講 鹿港日帰り旅行

早朝5時過ぎに、先生から体調が悪いので休講にするとLINEで連絡があった。

結局、金曜日から4連休になった。

台風だとかよく休講になるな・・・。

(追記)台風による休講は代わりの授業はなかったが、先生の休暇による休講は後日補填の授業があった。

せっかくの平日なので、鹿港に日帰り旅行することにした。

最近、図書館に行って勉強する頻度が減ってきた💦

そこそこ涼しくなって図書館で涼まなくてもよくなったという理由も大きい。

鹿港は古い町並みが残っていて、たしか1998年ぐらいに来たことがある。

当時は友人が行きたいというから行っただけでどこに行ったかもう覚えてない。

彰化県鹿港鎮公所鹿港は台湾西岸の中間に位置し、清の統治時代には天然の良港として商業の中心地として発展した。
オランダ統治時代、鄭氏政権から清初にかけては馬芝遴社と称されており、鹿港の名が文献上に現れるのは1784年である。この年鹿港と福建省泉州の間で航路が開かれ鹿港の黄金時代が始まった。1785年から1845年にかけてが鹿港の全盛期であり、人口は約10万と当時の台湾において第二の都市となっていた。台湾語で「一府(台湾府城が置かれた台南)、二鹿(鹿港)、三艋舺(今の台北市萬華)」と並び称せられた。(Wikipedia

台中から鹿港へ

家の近くの朝馬のバス停から鹿港まで9018番のバス一本で行ける。

バスだと思い込んでたらマイクロバスだったので、他の乗客がいなかったら見逃して乗り損ねるところだった。

終点の鹿港鎮公所で下車。

バス停の向かいは彰化県鹿港鎮公所。

鹿港老街

台湾のニュースで、台湾の老街はどこも同じような街並みで同じ物しか売っていないと言ってた。

全く同感だが、鹿港の老街は、他の老街と違って趣がある。

平日で時間が早いせいかガラガラ。

土日になるともっと両側の店が開いてて若者でにぎわうのだろうか。

個人的には店が開いてなくてもいいし、人が少ないほうがずっといい。

鹿港老街 - Insta360

鹿港公会堂(改修中)

鹿港公会堂は、元は萬春宮蘇府王爺の廟で、昭和3年(1928年)に公会堂に建て直され、戦後は「中山堂」と改名された。かつて老人会館として利用され、修復後は、現在の名称となった。
公会堂の屋根の柱は木造と鉄筋で造られ、上が瓦で、山花の部分は竹とコンクリートで造られている。

鹿港南靖宮

鹿港公会堂の隣の関羽を祭った小さな廟。

龍進虎出なので、右側が龍。

左側が虎。

大小さまざまな関羽像。

これも関羽像かな?

鹿港新祖宮(敕建天后宮)

老街の反対側のはずれにある廟。

台湾で起きた林爽文の反乱を鎮めた後、清朝乾隆帝の命により、乾隆53年(1788)に建てられた。

媽祖を祭っている。

台湾人は道教を信じている人が多いらしい。

大家さんの奥さんも媽祖を信じていると言っていた。

特定の宗教なんか信じないほうがいいぞ😎

老街を抜けると店がいっぱい並んだ賑やかな通り。

紅茶拿鐵にプリンをトッピング(60元)。

鹿港日茂行

嘉慶時期に、鹿港には八つの「行郊」があった。「郊」とは現在の商業の組合連合会のことである。日茂行は「日廟」とも呼ばれ、乾隆から道光20年(1840)までの時代で、八つの郊の中で規模の最も巨大な商業組合連合会だった。
日茂行は「三進二院」という造りであった。しかし、現在は玄関と正門だけが残されている。日茂行の前口床面には多くの石板が敷かれている。また、広場の前には、昔、郊の旗の土台や神に感謝する芝居を演じるための舞台として使われていた「磉石」がある。日茂行は1967年に再建され、鹿港の師匠施金義氏、陳穎派氏、歐陽錦華氏らが共に彩絵などの工事を行った。2000年に日茂行は県の古跡に指定されて、2003年に修復が始められ2005年12月に完成した。

日茂行のオーナーは林家で、乾隆帝の時代に隆盛を誇っていたらしい。

左側に林家の名前があるので末裔が住んでいるのだろうか。

鹿港城隍廟

城隍(又稱城隍爺、城隍爺公、城隍老爺、城隍尊神、城隍菩薩)を祭った小さな廟。

お城(塀と堀)の神様らしい。

みんなすっごく熱心に祈ってるので、写真を撮っていいものか躊躇した。

しつこく言うけど、宗教なんか信じないほうがいいぞ😎

なんか古くて歴史がありそうな建物。

鹿港民俗文物館

月曜日は休館日なのは行く前に気づいていた。

でも外から写真が撮れればいいやと思っていたが、外壁で囲まれてて、斜めからしか撮れなかった😖

台湾の家って、隣の家と壁がぴったりくっついてるが、決まりなのかな。

防音の面はどうなんだろう。

また隣に家を建てるとか、取り壊す時はどうするんだろう。

廃屋?

右側は取り壊されて一部鉄骨がむき出し?

「鹿港車站」は本当の鉄道駅ではなくて、台湾製糖が敷設した鉄道駅(たぶん)。

鹿港龍山寺

龍山寺というと台北にある龍山寺が有名だが、台湾には5つの龍山寺があるらしい。

鹿港龍山寺はそもそも路地にあったちっぽけな廟に過ぎませんでした。が、のちに地元の有力者の手によって移転改築され、今日のような大規模で優美な廟へと面貌を変えました。建物は西向きに建てられ、平面構成は方正になっています。主な建物は台湾ではめずらしい「四進三院」が採用され、格式や規模は大陸泉州の温陵龍山寺を模倣して建てられました。かつて99の門があり、構造と装飾のいずれにも華麗な彫刻細工が施され、鮮やかな絵はこれを勝ります。そのため、「中国建築芸術の宝」との誉れを受け、いくら観賞しても飽きることがないです。

正門前には上質の花崗石製のとぐろを巻いた龍の石刻柱が1組です。昇竜と降龍が絡み合う姿が彫られており、古風かつ素朴ながらも雄渾なさまは石刻芸術の傑作であります。前殿の後方には神に感謝する芝居を演じるための舞台が設けられています。舞台の天井板には「八角井」が採用されています。「八角井」の鮮やかな絵と技術は工芸美術の中でも最傑作であります。これまで龍山寺周辺の建物は龍山寺より高く建てることが禁じられていました。

寺院内の建物は奥に行くほど高くなり、順風満帆を象徴しています。このほか、清代に大陸の浙江省寧波で鋳造され、国内最大の銅鐘といわれる回廊に飾られた古時計や青銅製の観音菩薩など多数の古美術品や文物も保存されています。鹿港龍山寺における建築技術の複雑さ、華麗さには感嘆の連続で、まさに台湾屈指の壮麗な建築物です。

台湾における清の時代の建築では最も完全な姿を残し「台湾紫禁城」と呼ばれているのだとか。

紫禁城と名前をつけるにはスケールが違いすぎる気が・・・。

正門の奥に3つの建物があるが、一番手前の建物は改修中。

二番めの建物。

一番奥のたてもの。

九曲巷

鹿港の十宜楼は、詩人や学者が夜な夜な語り合い、議論を交わす集いの場でした。鹿港の文人文化が華やかだった頃、風雅を好む墨客たちは、夜になると詩を詠んだり、酒を飲んで語り合ったり、月を眺めながらお茶をたしなむなどして交流を深めていました。 建物の所有者は、非常にもてなし上手で優雅な人であったと言われ、客人に高いところから月を見てもらうため、隣り合う2つの建物の間に渡り廊下を作ってもてなしたと伝えられます。

お腹が減ったので豆花を食べる。

来年1月は総統選挙。

結党以来、「反中、反共産党」しか得意の一手がない民進党

と元台北市長で総統選に立候補してる柯文哲がこき下ろしてた。

ウクライナを見てると、中国にすり寄ったほうが安全に暮らせるんじゃないかと思うようになった😜

国民党ガンバレ!😎

台湾玻璃館(玻璃媽祖廟

もう歩き疲れたが、せっかく来たから「台湾玻璃館」まで足を延ばすことにした。

鹿港には、昔はYouBikeがあったようだが、今は別のMOOVOというシェアバイクに変わっていて、台湾国籍か居留証がないと登録できない😩

他にレンタサイクルは、4人乗りの自転車ぐらいしかないっぽい。

台湾玻璃館に行こうと思ったら1時間に1本ぐらいしかない6936番のバスしかない😩

「鹿港乗車処」のバス停に行ってバスが来るまで一休み。

手前にはいろいろな丸いガラスが敷き詰められている。

記念にいいかも・・・。

玻璃媽祖廟はガラス張りの廟。

昼間来てもイマイチだった。

ライトアップされた夕方に来ないと意味がない。

玻璃媽祖廟台湾護聖宮(鹿港) - Insta360

建築中のイルカの建物。

台湾玻璃館には様々なガラス細工製品が販売されている。

買いもしないのに写真を撮るのは気が引けるので撮ってないが、精巧で高価なガラス細工を見学できる。

乗ってきた636番のバスで高鉄台中駅に帰る。

途中の彰化で下りて、扇形庫を見ようかと思ったが、歩き疲れたので次回にする。

阿知焢肉(値上げ)

焢肉飯が80元から85元に値上げしてた😩

台湾もインフレ激しそう。

ここまでGoogleマップを見ながら書いてて、「鹿港天后宮」という一番有名なお寺に行ってないことに気づいた😱

また平日の授業が早く終わる日に行こう・・・。