新栄記粥店
香港の朝食といえばお粥。
皮蛋瘦肉粥が26香港ドル(約500円)。
かき混ぜてから撮ればよかったが、具が底にいっぱい入ってた。
先進脱落国から来たので物価が高く感じる😭
地下鉄で九龍駅で下車。
香港島に続く海底トンネル。
Klookに故宮文化博物館とスカイ100の割引券もあったけど、天気が悪いので買わなかった。
九龍駅から徒歩15分ぐらい。
入場券はKlookで1,140円。
清の乾隆帝(複製)
香港故宮文化博物館のてんじのほとんどは乾隆帝の時代のものが圧倒的に多い。
1864年に清の海禁政策が撤廃されたあと、日本の磁器と漆器が主要な輸入品となったらしい。
縁起のいい桃と蝙蝠が描かれている。
玉は紀元前2200年~1600年前のもので、玉は元々儀礼に用いるものだが、乾隆帝が座托をつけて装飾品とした。
商(日本では殷という)晩期の青銅器。
雲龍が掘られた玉。
乾隆帝が使ってた洗面器。
乾隆帝も顔をコロコロしてた!太平車と書かれてた。ゲルマニウムローラーってまだある?
金星玻璃の花瓶と書かれているのでガラス製?
雍正帝(1722~1735在位)の帽子置き。
キンペーは宗教の中国可を勧めてるらしい。宗教なんてろくなもんじゃないから、どんどん推進したほうがいい。
王将と玉将じゃないのか🤔
ほとんど国民党に台湾に持っていかれてしまって、展示物の少なさを補うため、こんなオブジェが所々にある。
柄の部分が玉の筆。重くて書きにくそう。
これも展示の少なさを補う寝っ転がって体験。
全面ガラス張りで晴れてたら最高。
三国から西晋時代にかけて、江南の浙江省や江蘇省を中心とした地域の墓に副葬された明器で、「神亭壺」あるいは「穀倉罐」などと呼ばれる。台北の故宮博物院にも同じような陶器がある。
西漢(日本では前漢)(前206年~8年)の陶俑で元は彩色が施されていたが、空気に触れて退色した。西漢時代の皇帝や貴族の副葬品としてよく見られている。
唐(618~907年)の枕。
南宋(1127~1279年)の磁器。
金(1115~1234年)の虎の形の枕。虎は邪気を払う作用があると信じられていた。
明代になると龍の模様がたくさん使用されるようになる。爪が五つある龍は皇帝と一部の貴族のみが使用できた。永楽帝の時代から磁器の上に四文字の年款を記すようになったのが特色。
明朝永楽帝(1403~1424年)の時に作られた磁器。
明朝宣徳帝(1426~1435年)の時に作られた磁器。
わかりにくいけどうっすらと龍のような模様が描かれている。
春秋時代(前770~前476年)の青銅器を真似て作られた清乾隆帝(1736~1795年)の陶器(右)。
清の宮廷では、古い青銅器と、青銅器に似せた陶器が花を飾るのに用いられた。
これも貝殻に見えるけど清乾隆帝時代に作られた陶器。
蝙蝠は變福だから縁起が良い。
商晩期のお酒を入れる甕で儀礼で用いられた。
同じく商晩期の酒器。
複数の動物を模倣して異形の獣を創作している。
清乾隆帝時代のガラス製品。
象牙細工。
玉の文化って中国だけ?
乾隆帝は玉製品をこよなく愛したらしい。
中国玉器の発展は清に至り、第一に高宗乾隆帝が玉をこよなく愛したこと、次いで二十五年(1760年)回疆(東トルキスタン)を征服後、ホータンの美玉を大量、安定的に中原に輸入されたこと、第三に主客観念による円満な協力があったこと。この3点により、玉器の製作は遂に空前の繁栄をもたらしました。丁度この頃、市場には当世風で王の好みに相反する情況が発生し、雅びと俗っぽさ、復古と新流行が衝突し、その結果、時代の風格はむしろ、より豊富より趣のある姿を呈することになりました。
冷蔵庫は明代、清代以前に幅広く利用されていた。この冷蔵庫はかつてラストエンペラー溥儀によって天津に運ばれたあと、民間に流転していたが、80年代に紫禁城に寄付された。
保温箱。
すごく小さな陶器に精緻な絵柄が描かれてる。
お弁当の収納セットみたいな?
苗木を保護する囲い。
蟹の玉。
乾隆帝時代の筆置き。羊の頭と牧童の背中の間に筆を置くようになってる。
蝋燭立て。
明(十七世紀早中期)の四人の童が仏像を祭る絵。太湖石は粗く太い線で描かれているのに対して、童は柔らかいタッチで描かれている。なんかフケ顔のガキ。
改まった青い服装が孔子、自然体の老子、落ち着いた赤い服の羅漢。明朝後期になると、儒教、道教、仏教がいっそう融合して仏教画が世俗化した。羅漢って誰?
鍾馗は中国の民間伝承に伝わる道教系の神で疫病神を追い払う。唐の時代の実在の人物で顔が醜くて科挙に受からなかったと言われている。台湾では鍾馗を祭る廟があって、自殺者が出たときの厄払いをすると先生が言ってた。
明宣宗が遊びに出かけたときの様子。「蹴鞠」
「馬球」
ゴルフもどきの「捶丸」。
「投壶」
帰るのが名残惜しい皇帝。
小雨が降ってる。
そして、文化大革命でも破壊をまぬがれたのか。
夕飯は「Shaan Curry and Kebab(深水埗咖哩)」でインドカレーを食べる。
店主のインド人はあまり標準語が得意でないらしく、小学生低学年ぐらいの子供が通訳をしてくれた。
お勧め料理を聞いたら、店頭にも掲示してあるビーフステーキ(75香港ドル)を強く勧められた。
インドカレーの店なのにステーキがお勧め。
カレーが具なしになったのは残念だけどステーキはとても美味しかった。
マンゴープリン🍮(42 香港ドル)を夜食に買う。