おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

原チャリで太魯閣峡谷観光

太魯閣に来るのは、これが5回目だと思う。

1998年に初めて友人と来て、2007年に両親とツアーで再訪、ブログをはじめてから2018年、2019年に個人で来た。

今回は、はじめて原チャリで来たので、ツアーや路線バスと違って、時間に縛られず、好きなところに立ちよることができて便利だった。

 

砂卡礑歩道

別記事。

zhizuchangle.hatenablog.com

白沙隧道

2018年10月末に開通した。

2018年10月に来たときは、開通直前だったってことか。

対岸の大雨が降る度に崖崩れが起きる山肌にある道路を通っていた。

今は封鎖されている。

志清亭

ダムがあった。

綺麗なターコイズブルーの水の色。

太魯閣の川は、石灰が溶け出した濁った灰色の水の印象が強かったんだけど。

布洛湾吊橋

2020年8月に開通した吊り橋なので、来るのは初めて。

長さ196m、幅2.5m、渓谷からの高さは152m。

人数制限をしているのか、橋の手前に電光掲示板があって、××人と表示されていた。

史料と古くからの言い伝えによるとおよそ300年前、中央山脈の西側に住んでいたタロコ族が耕地と狩猟の縄張りの不足からタッキリ渓流域に移住、家族単位の集落をつくって定住しました。布洛灣には上下の河岸段丘にそれぞれ集落がありました。日本統治時代には先住民を監視する目的でここにも駐在所が設置されましたが、1939年に起きた霧社事件の後、山中の先住民は現在の秀林郷富世村と秀林村に移住させられ山を下りていきました。

現在かかっている布洛灣吊橋は四代目になります。最も古い布洛灣吊橋は大正3年(1914年)タロコ戦役の際に隘勇線の一部としてかけられたもので、谷底近くに造られ、全長154メートルありました。主にタッキリ渓流域の先住民集落を制圧する目的で造られたものです。二代目は昭和5年(1930年)12月20日に完成、全長190メートル、高さ75メートル、三代目は昭和16年(1941年)産金道路建設中に二代目の吊橋の橋桁を破損し亀裂が入ったため、少し上流に造られました。

山月橋は日本統治時代にタッキリ渓流域にかけられた鉄線吊橋の中では一番長い橋でした。鉄線で張られた高くて揺れる橋の上から深いタッキリ渓谷をはるか下に見下ろすと足が竦むような思いがしたことでしょう。内タロコに派遣された日本人の警官の中には長くて高い橋を前に立ち竦んでしまい、警官を辞めて引き返そうと考えた者もいたとかで、別名「辞職橋」とも呼ばれていました。当時この地を訪れた人は皆、恐怖と戦いつつ渡ったそうです。

四代目の布洛灣吊橋は、布洛灣のあまり知られていない歴史背景を伝え残すと同時に、峡谷一帯の観光客を分散し、地表とは違った角度から峡谷の景観を見る場所を提供する目的で作られました。全ルートバリアフリーで身障者、高齢者、乳幼児でも手軽に安全に峡谷の景観が楽しめる遊歩道です。

太魯閣国立公園

一部、下が見えるようになってるけど、すき間が狭すぎて全然恐怖感なし。

中国の張家界にあるガラス張りの橋を渡ってみたい。

下に見える橋は、錐麓古道に続く錐麓吊橋。

今回も錐麓古道を歩きたくてツアーに申し込んだが、最低人数が集まらなくて成立しなかった。

橋の左側は燕子口歩道の入口。

下流側。

橋の対岸は行き止まりで展望台がある。

太魯閣(布洛湾吊橋) - Insta360

対岸の展望台から見たところ。

下の方を見ると、今は使われなくなって草が茂った道が見える。

橋の手前にビジターセンターがある。

太魯閣族の住居を復元して展示している。

太魯閣族はなんでこんな不便な峡谷に住んでいたのだろう。

漢族が台湾西側の平地に進出してきて、山奥に追いやられたのかな。

砂卡礑歩道を歩いたし、朝食を食べてなくて腹ペコだったので、昼食をとる。

カレーにしようかと思ったが、骨付き肉だと嫌なのでやめる。

もう今は骨付き肉じゃないのかな。

若い時ほど肉好きじゃないので、素食にした(250元)。

ご飯も美味しかったし、デザートのお餅みたいなのが美味しかった。

日本統治時代の大正3年(1914)5月31日に始まった太魯閣戦役は、東からは軍隊、西からは警察が太魯閣族を攻め、7月2日にここ布洛湾で合流した。

ちょっとした散策路がある。

橋の下に見えた草の茂った道は、トンネルができて使われなくなったようだ。

下流はさっきのターコイズブルーのダムが見える。

蘭亭

慈母橋を渡ったところに東屋があったので立ち寄る。

蘭亭という東屋からの眺め。

祥徳寺(天祥)

折り返し地点の天祥に到着。

本当は、パーキングエリアに原チャリを停めて、向こうに見える祥徳寺まで歩かないといけないが、横着して橋の手前に停める。

後で気付いたが、赤線の駐禁エリアだった💧

おばあさんが賽銭を募っていたので100元入れる。

駐車場がある天祥遊憩区エリア。

仏塔は階段があるけどロープが張ってて登れない。

仏塔の中の仏像。

なんかタイっぽい黄金仏。

立派な本殿だけど、観光客はほとんどいない。

2018年にきたときも足場が組まれてた。

緑水歩道

別記事。

zhizuchangle.hatenablog.com

岳王亭

また東屋が見えたので立ち寄る。

東屋の先に吊り橋がかかっていた。

鉄橋の布洛湾吊橋よりスリルがあって楽しい。

ときどき小雨がぱらつきだした。

太魯閣(岳王亭) - Insta360

橋を渡った先も細い道が続いているが、許可をとってない場合は立ち入り禁止。

燕子口歩道

これ、通ってるときに地震が起きたら怖いよ😬

真上に岩がある場所も怖いけど、何もないところも崖から石が落ちてきそう。

2017年にはサイクリングしてた日本人男性が落石でなくなっている。

燕子口歩道はバイクでゆっくり通過。

売店のところに駐車できる。

酋長の顔・・・に見えない岩。

前にも来たことがあるので、歩かずにまた原チャリに乗って通過。

ツアーで来た場合は、燕子口歩道の入り口で下ろしてもらって、出口でバスが待ってるが、原チャリだと行って戻ってこないといけない。

長春

ここも前に来たので、もういっかーと思ったが、ここでおしまいなので立ちよる。

左上のお寺に続く道は今もなお開通してない。

が、別の広い道から行けたと、これを書いてて知った。

洞窟に祭られた仏像。

洞窟の奥から水が湧き出している。

お堂の中には小さな仏様。

帰りは地面が濡れてしまわない程度の小雨がときどき降っていた。

地面が濡れたら滑るので怖いけど、そこまでではなかったので、来るときの倍以上のスピードを出して帰る😅

牛排先生 花商店

原チャリで夜市に行こうかと思ってたけど、思いのほか歩き疲れてたので、夜市に行くのはやめる。

先に原チャリを返却して、いったんホテルに帰り、しばらくしてからご飯を食べにいく。

前にも行った「花玉自助餐館」に行くと閉まってたので、やはり前にも行った「牛排先生 花商店」に行く。

店の外にある券売機で買う。

左下の「厚切板腱」がおいしそうだったので購入(270元)。

板腱とは「みすじ」らしい。

日本語になってもわからん💧

スープとジュースは飲み放題。

ご飯やパンが付いてなかったけど、スパゲッティが大量。

板腱ってすじ肉か?

ナイフを何回往復させても切れない。

半分引きちぎって口に入れたら、何回噛んでも噛み切れない。

そのまま飲み込んだら息が詰まりそうになり、四苦八苦しながら喉に詰まらない大きさに切っては口に運んだ。

よっぽど不味くはない限り、残さない主義なので、なんとか完食。