おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.5万円、在宅勤務のハケン社員になりました

奥の院にもう一度参拝!

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8時過ぎに一の橋から奥の院に向かう。

昨日も昼間と夜に訪れたのでこれで3回目だ。

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高野山町石道|壇上伽藍(高野町)~大師御廟(高野町)|和歌山県観光情報 公式サイト わかやま観光情報

薩摩島津家の立派な墓所

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ナイトウォークで聞いた解説を思い出しながら歩く。

朝早いし、コロナで旅行者が少ないので、人が全くいない。

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質素な武田信玄のお墓。

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通路を挟んで反対側の奥に立派な上杉謙信の廟がある。

通路は川中島を象徴しているとの説もあるとは昨晩のナイトウォークの説明。

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みんな石が積みたくなるんだな、私も置いたけど。

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石田三成の墓。

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その少し先を右手に入っていくと明智光秀の墓がある。

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墓石は五輪塔という、下から地水火風空の五大を表し、これに心(精神)を表す識大を加えてこの宇宙が構成されている。

明智光秀の墓は「水」の石が新しくしても割れてしまい、今の石は3つ目らしい。

これは本能寺の変で、光秀に火を放たれた織田信長が喉の渇きを覚えて恨んでいるからだって。

奥の院の墓はエリアによって管轄するお寺が決まってて、光秀の墓は昨晩泊まった恵光院が管理している。

以上は、昨晩のナイトウォークで聞いた話である。

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汗かき地蔵と姿見の井戸。

井戸からのぞき込んで水面に自分の顔が映らなかったら3年以内に死ぬ。

私はちゃんと顔が映っていたので大丈夫。

写真を撮ろうかと思ったけど、自分の背後に別の顔が映っていたら怖いからやめた。

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立て札の右側の小さな供養塔は「禅尼上智碑」と呼ばれ、耳をあてると地獄からの叫び声が聞こえるらしい。

誰もいないので耳を当てて聞いてみたけれど何も音はしなかった。

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和歌山県指定文化財の「高麗陣敵味方戦死者供養碑」。

慶長の役の後、薩摩藩島津義弘・忠恒の父子により、敵味方の区別なく戦死者を供養するために建てられた供養碑で、日本武士道の表れとして知られる。

とナイトウォークでガイドの僧侶が誇らしげに説明していた。

勝手に他人の家に押し入って人を殺めといて、後で供養するのが武士道という解釈で合ってる?

寧ろ、頭の狂ったボスザルの指示で自分の意に反して強盗や殺人をしてしまって申し訳ないという気持ちじゃないのかな。

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重厚な感じがする結城秀康の石棺。

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豊臣秀吉のお墓は敷地は広いけどあまり大したことがなかった。

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織田信長のお墓は豊臣家の墓から少し先を左に入っていったとても分かりにくいところにあった。

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他の墓と区画が分けられてさえいなくてめちゃ質素。

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そういえば、昨日のナイトウォークでは、ここに祀られているのは、お骨のある通常の「墓」と骨が埋まっていなくて慰霊のための「供養塔」の二つがあると言っていた。

ちなみに中国では、遺体の代わりに故人の衣服などを埋めたものを「衣冠冢」と呼ぶ。

zhizuchangle.hatenablog.com

昔は御廟の手前の玉川には橋がかかっていなくて、川の中を歩いて渡ったらしい。

そこで自分の足を清める代わりに、水向け地蔵の足元に水をかけてから御廟橋を渡るようにとナイトウォークで説明があった。

なお私も数時間後に玉川の川底を歩いて御廟に渡ることになる (-_-;)

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御廟橋から先は写真撮影禁止。

昨日初めて来た時は御廟橋の手前で行きと帰りにお辞儀をするのを知らなかった。

左手に弥勒石(重軽石)という昔のティシュボックス大の石が置かれた祠がある。

今主流のコンパクトサイズじゃない高さのやつね。

祠には片手だけ入れれる大きさの窓があいている。

祠の中は二段になっていて、弥勒石を下の段から上の段に持ち上げれたら願いが叶うらしい。

ナイトウォークの僧侶は大きな音を立てながらも上の段に持ち上げていた。

石をいったん下の段に移して、再び上の段に持ち上げようとしたが全然無理で、おまけに薬指の背の皮がズルッと1センチぐらい剥けてしまった。

弘法大師を「元祖引きこもり」と言ったから罰が当たったのか (-_-;)

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誰もいない御廟でお参りをしたあと、帰りに英霊殿に立ち寄る。

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