この度は軍艦島上陸クルーズのご予約をいただき誠にありがとうございます。
本日の上陸周遊クルーズの運航ですが、通常の予定でございますが、今現在、端島(軍艦島)の上陸の際に遵守しなければならない波高の数値が台風の影響のより1メートルを大幅に超えています。
運航には支障はないのですが、長崎市による施設利用基準により波高が0.5メートルを超える場合、端島(軍艦島)への接岸が出来ません。弊社の接岸時間15:30まではまだ時間がございますのでその時間で規定内の数値まで収まれば接岸も可能となります。しかしながら予測としましてかなり難しいと思われます。
弊社としましては数値次第でいつでも接岸が出来るよう、本日も上陸クルーズとして運航する予定ですが、波高が収まらず上陸が出来ない場合は高島上陸後、軍艦島は船からの見学する周遊クルーズとなります。
お客様によってはそのような状況だったらキャンセルしたいというご要望もあるかと思われます。
その場合、本日のクルーズに関してのご予約のキャンセルはチャージなしで対応いたします。
キャンセルの場合はこちらのメールの返信にてご連絡いただけますと幸いでございます。
なお、そのままご乗船されるお客様に関しては受付時間13:00~13:40でございますので遅れないようお越しください。
しばし回答は保留して有馬キリシタン遺産記念館に行った。
軍艦島クルーズに参加するなら、このあと長崎市に向かわないといけないが、軍艦島に上陸できないんじゃつまらないし、まだ島原の観光を続けたい。
そこで、記念館の見学を終えたあと、クルーズはキャンセルする連絡をして島原城に向かった。
1階はキリシタン展。
島原の乱にまつわる史料を多く展示していて一番興味深いフロア。
十字架の文様の入った茶器。
《石像マリア観音》
《祭壇用の織部燭台》
《隠し十字入地蔵型灯篭》
火袋の底面に十字の彫刻がある。 約40cmの円筒型の底面には十字紋が刻まれている。 円筒部には2体の地蔵が彫り込まれ、背面には火袋もある。 潜伏キリシタンが密かに月待講や地蔵講などの名のもとに集会時に利用していたものか。
いわゆる「踏み絵」
私なら信仰してても死ぬのは嫌だから「肝心なときに救わんのかい」と思ってすぐにころぶ(棄教する)な (-ω-)/
《納戸仏》
島原の乱のときに、オランダ艦船から打ち込まれた大砲の弾。
2階は郷土資料展。
あんまり興味なし。
《河童の手》
3階の民族展だったかな。
本当は何の骨なんだろう?
「島原大変肥後迷惑」の様子を描いた絵。
島原大変肥後迷惑とは、1792年5月21日(寛政4年4月1日)に肥前国島原で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因する津波が島原や対岸の肥後国を襲ったこと(肥後迷惑)による災害である。(Wikipediaより)
山体崩壊と津波で1万5千人にも上る死者を出した、日本史上最大の火山災害だったそうだ。
聞いたことがある山の名だが、さだまさしの映画『眉山』は徳島県だった。
遠くに見えるけど、山体の崩落は城下町南側を吞み込んだそうだ。
天守閣の裏手に「西望記念館(巽の櫓)」がある。
立像も試作したけど、重量感が得られないということで座像にしたそうだ。
「民具資料館(丑寅の櫓)」は明治、大正、昭和の民具を展示。
私が幼いころは、祖母がまだ七輪とか煉炭を使ってたな。
《諫早門の門扉》
白玉団子が密の中に入ってて素朴な味わい。
島原城の観光を終えて1時過ぎ。
軍艦島クルーズに参加するつもりだったので、長崎市内に宿をとったが、まだ宿に向かうには早いので、雲仙岳の平成新山を見に雲仙ロープウェイに向かう。