ちょうど一ヶ月前に泊った清浄心院に再び宿泊。
なぜなら、夕食付で宿坊の中で一番安いから(11,440円)。
そして、個人用のお風呂が気に入ったから。
清浄心院
このお堂には弘法大師が祭られているが4月20日しか見れない。
弘法大師が入定する前に自分の像をもってこの寺に来たんだとさ。
部屋
前回は中庭が見下ろせる2階の部屋だったけど、今回は別の建物だった。
二部屋が用意されていた。
混んでいるときは、ふすまを閉め切って二組の客に使うのだと思う。
一人だから一部屋で十分だけど。
どっちの部屋にももうヒーターが置いてあって、部屋に入るとすぐにつけてくれた。
浴場
最初に、前回も入った個人用の風呂に入る。
このこじんまりとした木のお風呂が気持ちいい。
長く入り過ぎてのぼせたので、部屋に戻ってヒーターを消してマッパでいたら、ドアをノックされ、慌てて浴衣を着た 😓
同じ建物には3~4人が入れる浴場があった。
こっちも夕飯を食べたあと入った。
ボイラーの関係で21時まで。
宿坊って、朝風呂に入れないのが嫌い。
お菓子
来る前に「みろく石本舗 かさ國」で和菓子を買っといた。
いつも、この前を通ると、お客さんが並んでいたので気になってた。
一番右の「みろく石」は清浄心院が用意してくれてたもの。
それ以外の3個が「みろく石本舗 かさ國」で買ったもの(120円×3個)。
「焼き餅」も美味しかったし、黄な粉がふってある「くるみもち」も美味しかった。
もっと早く買えばよかった。
夕食
精進料理が目的で泊りに来ているようなもん。
コロナ対策で一組の客に一部屋が割り当てられるので、広い部屋で一人で食べる。
掛け軸にかけられているのと少し違うが『百聯抄』に書かれた漢詩らしい。
花前酌酒呑紅色
月下烹茶飮白光
天ぷらがかき揚げに変わった。
前回の茄子とか蓮根、椎茸などの単品の天ぷらの方がよかった。
寒くなったから刺身こんにゃくが鍋に変わった。
これは鍋の方がいい!
ほとんど一緒。
フルーツがシャインマスカットからメロンに変わった。
夕飯を食べて、風呂に入ったらもうすることがない。
こういうときこそ、心静かに内省する機会。
『お金は寝かせてふやしなさい』を読む 😛
朝の御勤め
朝の御勤めは6時半から。
睡眠導入剤を持ってくるの忘れて寝不足。
また一番偉い住職は不在で、若いお坊さんが読経した。
前は宿泊客が3組5人しかいなかったのに、今回は十数人いた。
人が多かったせいか、お焼香がなかった。
15分ぐらいでいいのに、終わるかと思ったらまた唱えだしてなかなか終わらず約1時間続いた。
読経を聞きながら邪念が沸き起こる。
「本当に仏を信じてるのかな、仕事で仕方なくやってるのかな」
「お坊さんもセミリタを考えたりするのかな」
「お坊さんの何割がかつらを持ってるのかな」
あーせんざい、せんざい、洗剤?
朝食
朝食は中庭に面した部屋だった。
前回とほぼ一緒。
中庭はこんな感じ。
そんなに大したことない。
護摩祈祷
チェックインのとき、護摩(1,000円)を1枚無料でくれた。
前回はあげると言われたけど、面倒くさいから遠慮した。
今回は一応もらったけど、適当に選んで書いたから、なんて書いたかもう忘れた 😆
昼までいるつもりはないので、お寺に預けた。
奥の院
朝ごはんを食べた後、荷物をおいたまま奥の院にお参り。
紅葉がめっちゃきれい。
トトロみたいな塔は千手観音の慈悲と不動明王の怒りの炎を具現化している。
「ああ同期の櫻」と書かれていて、太平洋戦争でなくなった飛行隊を祀ったものらしい。
平日の7時半。
奥の院に着くまで誰にも会わなかった。
石田三成の墓。
昨日は因縁の敵、徳川家康の霊台にお参りした。
汗かき地蔵にお参り。
隣の「姿見の井戸」はのぞいて自分の姿が映らないと3年以内に死ぬ。
前回覗いてちゃんと映ったのでパス。
相変わらず不細工な「お化粧地蔵」。
自分の足を清めるかわりに「水向地蔵」の足に水を掛ける。
ここから奥は写真撮影禁止。
建物の裏の弘法大師が引籠もっているところでお線香と蝋燭(各50円)を供える。
誰もいないと思ったら、遠くにマネキンが。
近づくと一心に祈ってる黒服の女性だった(ちょっと怖かった💦)
会社のお墓にもお参り。
今年これで3回目。
ひょっとして全社員の中で一番よく参拝してるんじゃなかろうか。
バイトなのに 😛
英霊殿に続く道が奥の院で紅葉が一番きれいだった。
東北大震災の物故者を祀っている。
新明和工業の慰霊碑はなぜかロケット。
蛇柳は石子詰めという生き埋めにする刑場だったらしい。
高野山三大幽霊スポットというのをご存知でしょうか?三本杉、蛇柳、稚児ノ滝を高野山三大霊スポットと書いているブログあり 😱
昔此所に大蛇が居り人に災いをなしていた。弘法大師が高野山を開くにあたり大蛇を真言密教の修法を以て封じ込めその後柳を植え此所を「蛇神」と称した。又大師は大蛇を竹帯で大瀧に追いやったが竹箒に怨念が残り高野山ではそれ以後掃除の折りに竹箒を使わなくなったとの逸話が残っている