おまけの会社員生活

おまけの会社員生活《ハケンの品格》

五十而知天命、毎日定時退社&有給フル消化の正社員から週休5日、日給5.6万円、半分在宅勤務のハケン社員になりました

霧峰林家の戲台を5年ぶりに再訪

たまには観光もしようと、霧峰林家の戲台を再訪した。

前回訪れてからもう5年もたつのか・・・。

zhizuchangle.hatenablog.co

151番のバスに乗っていく。

途中で亜洲大学の横を通ったr、けっこう立派な建物。

道の反対側にはローマのコロッセオみたいな体育館。

霧峰林家

草厝

前日にWEBで11時のガイドツアーを予約しておいた。

前回来たときは開放されていなかった草厝がチケット売り場に変わっていた。

入場料250元を払って時間になるまで草厝で待つ。

前回はヘッドフォンを貸し出してもらってガイドの説明を聞いたのに今回はなかった。

厝の左手がガイド待機所、右手が売店になっている。

マンゴーアイス(55元)。

厝は1837年、林家が最初に居を構えた場所。

1930年の写真をもとにカヤ葺きの屋根に復元された。

宮保第

台湾には、板橋林家、霧峰林家、高雄陳家、鹿港辜家、基隆顏家という5つの名家がある。

板橋林家と霧峰林家は血縁関係はない。

宮保第は台湾の伝統建築の中で正面が最も広い11間(柱と柱の間)ある。

宮保第と中華料理の宮保鶏丁の説明が聞き取れず・・・。

ちなみにツアー参加者めちゃいっぱい。

ガイドツアーが終わってから改めて写真を撮りなおした。

正面の門は武官が描かれている。

左右の門には文官が描かれていて、酒壺(久福)など縁起のよいものを持っている。

第二進(2番目)の建物。

「春秋又八千」は81歳の誕生日に贈られたもの。

中には掛け軸が飾られていて、李鴻章の字跡もあるが、台湾を訪れてはいない。

第三進の建物。

入口に蝙蝠の彫刻。

蝙蝠は「福」と同音なので古来より中国では縁起がいい動物。

蝙蝠が家の方向を見ている説明をしていて、多くの台湾人がちゃんと答えていた。

「開門迎福、福在眼前」って言ってたと思う。

庭の先にあるのが第五進。

第四進は、921地震で倒壊したが、元の図面が残っていないので復元しなかった。

一番奥にある第五進は一番偉い人が住むところ、ということで先祖が祭られている。

左右の窓、上が「吉」、下が「災」の文字の形で「吉災窗」と言っていた(はず)。

窓の隙間からのぞくと、確かに仏壇のようなものが見えた。

ここで10分お茶タイムがあったので、急いで歩いてきた建物に戻って写真を撮ったが、ガイドツアー解散後にゆっくり写真は撮れた😓

大華廳

二本の柱の上の胴体が魚、頭が龍の神獣は「鰲魚」。

そういえば、バンコクのエラワン・ミュージアムで龍が爪でつかんでいる魚が「aoyu」だった気がする。

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「不以規矩 不能成方圓」にならって四角と丸い入口。

そうそう、どの建物も入るときは右から、出るときは左から出る。

龍進虎出、右側が龍門、左側が虎門。

タイガーマスクは「虎の穴」。

安室奈美恵が腰かけて歌ってた戲台の入り口。

ハイライトの戲台。

音響効果のため、戲台の下には水がめが置かれている。

360度パノラマカメラ持ってくるんだった😭

中央の四角い窓みたいなのの四隅には蝙蝠が彫られている。

中央には「○○賜福」と彫られてるが読めない・・・。

ここにも鰲魚。

鰲魚は火を飲み、水を吐き出すと言われるので、防火の願いだろうか。

欄干の中央には麒麟の彫刻。

前回来たときは気づかなかった。

戲台を支える柱には桃眼獅。

牡丹の額、桃の目、蓮の口、如意の顎。

部隊の両側に観覧席があって、左が男性、右側が女性用。

左側は階段がある。

右側の女性の側は階段が見えないようになっている。

戲台の正面が特等席。

右側の柱には「文朝資正義,武德在奇功」と書かれている。

「文朝資」は、林文察、林朝棟、林資鏗(林祖密)、3人の名前を表している。

林祖密が日本国籍を放棄し、中華民国籍を選択した書類。

台中第一中等学校設立募金の寄付者の名簿。

日本統治時代に、台湾人のための学校を設立した、台湾の教育主権の象徴。

左から、宮保第、大華廳、将軍府の模型。

これでガイドツアーは終わって、あとは自由に写真撮り放題。

頤圃

草厝の左にある頤圃が観光可能になっていた(150元)。

ガイドツアーじゃなくて、勝手に見て回る。

頤圃は日本統治時代に建てられた和洋折衷建築。

屋根には日本瓦が敷かれている。

ニホンザル

左側から入るとまず厨房。

隣は食堂。

日本人は、純潔で静謐な白色が好きなんだって。

隣は貴賓を接待する部屋。

窓が三段式になっている。

続いて寝室。

奥に五右衛門風呂がある。

私の家も小学校低学年ぐらいまで五右衛門風呂だった。

勝手口に薪を燃やす場所があった。

五右衛門風呂のあとも高校か大学ぐらいまで薪を燃やす風呂だった。

寝室の奥のもう一つのドアの先は鏡張りの部屋。

左上の穴は狙撃用らしいが、高すぎるし、天井が邪魔じゃね?

また、部屋の奥に脱出トンネルがある。

寝室の隣は執務室。

一番奥が応接間。

応接間から外に出ると、さきほどの脱出トンネルの出口がある。

距離短すぎてあんま意味ないんじゃない?

こっちからは入れる。

丸い穴は鏡張りの部屋の脱出トンネル。

あんま役にたちそうにない。

正面の建物に入ると寝室。

銅製ベッドは中空になってて、金銀財宝を隠しておいて、いざというときに持って逃げれるようにしていたんだって。

建物正面は正餐で祖先を祭るところ。

林家は芸術家のパトロンをしていて、芸術家から作品を贈られていたそう。

右側の建物に移動すると林家の女性専用の麻雀部屋。

黒檀の麻雀卓の引き出しには取っ手がない。

当時の裕福な家庭の女性は爪を伸ばしてて、引出を爪で開けるときに爪が割れたら今日の麻雀はついてないと占った。

和室のある部屋。

林鶴年という人は、名取信子という日本の貴族と再婚したらしい。

当時だったら、没落貴族じゃないと台湾人に、しかもバツイチ男に嫁がないのではないだろうか。

林家の末裔、林帛亨はF1レーサー?

そういえば、アイドルからレーサーになって、試合じゃなくて普通の交通事故にあって顔面複雑骨折して整形した林志穎は元の顔と変わってしまったな。

螺鈿(らでん)の装飾のある黒檀の家具。

「滄海百年」は1787~1885年まで約100年の林家4代の激動の歴史を描いたドラマらしい。

見てみたいような、台湾ドラマってあんま面白くないからな。

頤圃の隣にも伝統家屋っぽいのが建ってるが非公開。

反対側の大華廳の隣は将軍府。

今もまだ林家の末裔が住んでいるので非公開。

九二一地震教育園區

歩き疲れたけど、またここまで来るのは遠いので、もう一か所、バスに乗って「九二一地震教育園區」に行く。

バス停からさらに歩かないといけなかかった 😖

入場料30元。

1999年9月21日未明1時47分、台湾中部でマグニチュード7.3の大地震が発生し、死亡者2415人、行方不明者29人の被害が出た。

地震で倒壊した光復中学校を震災遺構としてそのまま保存している。

当時ニュースで報じられたことは朧気ながら覚えている。

また、「那些年,我們一起追的女孩」を見て921大地震があったことを思い出した。

ひん曲がった鉄道レール。

地震発生が深夜だったからよかったものの、日中だったらたくさんの学生が被害に遭っていただろう。

断層の上に運動場があって、地震で左側が隆起している。

子供向けの展示や映像、体験エリアなどもある。

921大地震東日本大震災の被災状況を比較したパネルが展示してあった。

人的被害も家屋の被害も、東日本大震災のほうが遥かに大きい。

昼ご飯を食べてなかったけど、バスがくるまで15分ぐらいしかなかったので、肉まんを買って食べる(22元×3個)。

筍の饅頭。